主な権力者の高野参詣と高野山との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 18:24 UTC 版)
「金剛峯寺」の記事における「主な権力者の高野参詣と高野山との関わり」の解説
平安期、摂関政治が盛んであった頃、「入定信仰」や「高野浄土信仰」が起こり、その信仰が高まりを見せると、上皇・天皇・皇族や貴族による、高野山参詣が相次ぎ、また帰依したことで、高野山の復興・発展することに繋がった。 年表:主な権力者の高野参詣と高野山との関わり主な権力者備考900年 宇多法皇参詣 905年に、二度目の参詣 1023年 藤原道長参詣 1048年 藤原頼通参詣 1088年 白河上皇参詣 他に1091年、1103年、1127年の計4度の参詣 1124年 鳥羽上皇参詣 他に1132年、1127年の計3度の参詣 1156年 平清盛を奉行として大塔落慶 1169年 後白河法皇参詣 1207年 後鳥羽上皇参詣 1223年 北条政子が金剛三昧院建立 1258年 後嵯峨上皇参詣 1313年 後宇多法皇参詣 1334年 後醍醐天皇御願による愛染堂建立 1338年 後醍醐天皇参詣 吉野行宮より潜幸 1344年 足利尊氏参詣 1378年 長慶天皇参詣 1389年 足利義満参詣 1581年 織田信長の高野攻め開始 翌年:信長没、後に豊臣秀吉が高野山と和議し、庇護することに繋がる 1585年 豊臣秀吉と和議 1594年 豊臣秀吉参詣 1594年 徳川家康参詣 1599年 石田三成が経蔵建立 1848年 紀伊徳川家が御影堂を再建
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