中央駅の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/17 05:13 UTC 版)
プロイセンのコブレンツにおける都市防衛設備は1890年には廃止され、撤去された。市街地は古い城壁内側の狭い領域だったのが外縁に拡大し、城壁の南側には新しい街区ができ急速に発展していった。2か所の駅をどちらも維持していくのは困難なこととなっていた。通しで運行する列車は、900 mで2回の停車が必要で、トリーアから来て右岸線で北の方へ行く乗客は、モーゼル駅からライン鉄道の駅へ徒歩か馬車で移動しなければならなかった。このため、中央駅を建設することを求める声が高まり、新しく大きな旅客駅を建設する計画が開始された。 フィシェル通りにあった小さなライン鉄道の駅は廃止となり、1899年から1902年にかけて新しい南側の街区、モーゼル駅の近くに大きな新しい駅が建設された。設計は政府の建築官カール・ビーカー(ドイツ語版)が行い、州の建築監督官フリッツ・クリングホルツ(ドイツ語版)が改良した。中央駅(当時は正式にCentralbahnhofと称されていた)は、1902年5月1日に開業した。通過式配線の駅は、中央と両側のパビリオンを備えた宮殿様式で、しかし機能的な観点から完全な対称ではない形で建設された。ファサードは凝灰岩と黄色砂岩で造られたネオバロック様式となっていた。駅舎は全長96 mあった。プラットホームを覆ってトレイン・シェッドが建てられた。北側のウィングには、豊かに飾られた貴賓室があり、屋外階段を通じて1番線ホームへ直結する通路があり、1905年にコブレンツに皇帝が来た際にはここを利用した。
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