中国に論理学は有ったか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:38 UTC 版)
「中国における論理学」の記事における「中国に論理学は有ったか」の解説
「名家 (諸子百家)#論理学」も参照 前近代の中国に Logic(論理学)に対応する単語は無い。「論理学」という漢語は、明治日本で作られた和製漢語に近い語である。なお現代中国語では、Logic は「論理」ではなく「逻辑」(ルオジー、拼音: Luójí、繁体字: 邏輯)という音訳が用いられている。 同様に、前近代の中国に「論理学」に対応する学問も無い。しかしながら、明治日本の哲学研究者たち、とりわけ桑木厳翼は、諸子百家の「名」の思想を「論理学」とみなして研究した。桑木の研究は、章炳麟や王国維ら清末の知識人にも受容された。以降、中国においても諸子百家の「名」の思想が論理学とみなされるようになった。民国初期には、とりわけ胡適が諸子百家の論理学を掘り下げて研究した。なお、胡適の論理学観は、彼がコロンビア大学留学時に師事していたジョン・デューイの論理学観、すなわちプラグマティズムの論理学観を反映しているとされる。 一方で、「中国に論理学の伝統は無い」という見解も明治からある 。すなわち、諸子百家の論理学は秦代以降断絶していること、また論理学としては歪な部分が多いことなどによる。この見解は、中国仏教とインド仏教の対照性(主に因明の不振と禅仏教の言語観)や、中国語と印欧語の対照性(文法上の時制や数・格が無い)などの見解と合わさって、「中国哲学は論理的ではない」「中国人は論理的・抽象的思惟において劣っている」(代わりに現実的思惟に優れている)というステレオタイプの形成に繋がった。そのような見解・ステレオタイプをまとめた書物として、比較思想研究の大家、中村元の1948年の著書『東洋人の思惟方法』がある。同書は1960年に英訳され、国際的に読まれた。同書への批判も兼ねて諸子百家の論理学を研究する学者も多い。
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