中国に戻る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:33 UTC 版)
武則天は、自ら洛陽の上東門外に出迎え、勅によって仏授記寺に迎え入れた。以後、仏典の漢訳を行う。訳経は国家事業として洛陽・長安の大寺や内道場で行なわれ、実叉難陀・阿儞真那・波崙らの西域渡来の僧が訳経を担当し、武則天自らが序を著した。漢訳された経典は56部230巻に及んだ。また、『南海寄帰内法伝』、『大唐西域求法高僧伝』を著す。両著とも、当時のインドや中国の仏教研究、あるいはインドや東南アジアの社会状況に関する貴重な史料となっている。 713年(先天2年)、79歳で亡くなった。法臘59。『宋高僧伝』巻1に伝あり。
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