下里・青山における板碑製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 23:31 UTC 版)
「下里・青山板碑製作遺跡」の記事における「下里・青山における板碑製作」の解説
板碑の製作過程は、「採石」「分割」「成形」「調整」「彫刻」「装飾」という段階を踏む。「採石」(採掘)は、山から材料の青石を切り出す作業。「分割」は、切り出した石材を適当な大きさと厚みに割り取る作業。「成形」は、割り取った石材を板碑の形に整える作業。「調整」は、板碑形に成形した石材の表面をノミなどで整えること。「彫刻」は、ノミで整えた石材表面に梵字などを彫りこむこと。「装飾」は、最終仕上げの研磨を行ったり、掘り込んだ文字に金箔をほどこす等の作業である。 下里・青山地区の遺跡で検出された板碑未成品には、「ケガキ線」「形彫溝」「押し削り痕」などと呼ばれる、完成品の板碑にはみられない、作業途中の様相がみられる。「ケガキ線」とは、石材表面に錐状の工具で引いた細い線で、板碑成形のためのあたり線である。「形彫溝」とは、石材表面に平ノミを斜めにあて、セットウ(金槌)で叩いて溝を掘り込んだもので、石材を意図した形になるように割り、成形するためのものである。「押し削り痕」とは、石材表面をラフに整えるために、平ノミをまっすぐにあて、セットウで叩いた状態を指す。調査の結果、近世以降の青石を用いた墓石等にはこの「押し削り」の技法はみられず、この技法は中世特有のものであることがわかった。 下里・青山地区の板碑未成品には、上記のように表面をノミで整えたものはみられるが、梵字などを彫刻したものはない。したがって、下里・青山では「調整」までの工程が行われ、「彫刻」「装飾」は別の場所で行われたことがわかる。 下里・青山地区で検出された板碑未成品のうち、横幅の全長がわかるものは42点あった。これらはいずれも小型で、横幅は15センチ前後のものが多く、最小は12センチ、最大は22.5センチである。当地区では、遺跡の年代推定の指標となる土器・陶器は出土していない。しかし、当地区の板碑の供給先である都幾川や入間川流域の板碑と比較すると、当地区で板碑が製作されたのは、14世紀半ばから15世紀後半で、これは関東地方における板碑の最盛期と一致する。 下里・青山板碑製作遺跡は、中世の関東地方において、板碑製作の中心的役割を果たした遺跡である。原料となった青石の採掘場所や板碑の製作過程がわかる点で貴重であり、中世の人々の信仰実態や精神文化を知るうえでも重要な遺跡である。
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