上級士族とは? わかりやすく解説

上級士族(セック)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/08 15:06 UTC 版)

ガンズ・ハート」の記事における「上級士族(セック)」の解説

西域国で国の主要な地位占め身分

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上級士族

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/06 02:31 UTC 版)

琉球の位階」の記事における「上級士族」の解説

士族のことを、琉球では士(サムレー)と言い俗にユカッチュ(良かる人、の意)とも言った。なお、士族という用語は、1869年明治2年)に明治政府各藩藩士一門から平士まで)の族称として用いたのが最初である。古琉球期には「下司(げす)」とも呼んだ。「崇元寺下馬碑」(1527年)に「あんしもけすもくまにてむまからおれるべし」(按司下司もここにて馬から下りるべし)とある。 この下司呼ばれる士族階層中にはさらに、「あすたべ(三司官)」、「大やくもいた(大屋子もい達)」、「さとぬしべ(里主部)」、「げらへあくかべ(家来赤頭)」、「おゑか人」等の諸階層があった。「あんしもけすも」とあるように、すでに16世紀初頭には、王族按司部思い子部)とそれ以下士族階層とを区別する差別意識があったことがうかがえる近世になると、下司ギシ発音して主として地頭職にある上級士族を指すようになった正一品から従四品までの士族は上級士族に相当する士族エリート国政要職司った親方になると、原則として一間切を采地として賜り総地頭呼ばれた。しかし、これは建前実際采地の不足から、親方であっても脇地頭にとどまる場合多かった脇地頭とは、間切内の一村采地として賜る地頭職のことである。この場合脇地頭親方呼ばれた。『琉球藩雑記』(明治6年によれば王朝末期時点総地頭職にある親方14名であるのに対して脇地頭親方38名と実に2倍以上に上っている。 親雲上(ペークミー)は、一村采地として賜り脇地頭の職についた黄冠戴いた親方親雲上(ペークミー)とも、普通はその采地名から、それぞれ浦添親方知花親雲上などと称するが、采地名が王子領や王家直領一致をする場合同一呼称をさけた。具体例言えば中城間切中城王子領)の地頭伊舎堂佐敷間切王妃領)の場合森山称したごとくである。親方地頭職にある親雲上邸宅殿内(トゥンチ)と呼ばれ、その家柄を言う場合には、一般に豊見城殿内とみぐすくどぅんち)や儀間殿内(ぎまどぅんち)という言い方をした。

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