清国亡命への動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/20 04:34 UTC 版)
その後の琉球処分の完成により琉球王国と王府が名実ともに廃止、滅亡に追い込まれると、更に多くの人々が王国再建のために軍隊派遣などを求めた。三司官を務めた毛鳳来(富川盛圭)をはじめ、向有徳(浦添朝忠)、毛有慶(亀川盛棟)などがいる。脱清人の人々は旧支配層を中心とした上級士族が主体であったが、林世功をはじめとする下級士族や庶民の中にも賛同者が含まれていた。彼らは琉球処分後も日本側に接収されていなかった福州(「琉球館」こと、柔遠駅)や北京などの旧琉球王国の施設を拠点として政治工作を続けただけではなく、沖縄で抵抗を続ける頑固党らや東京の中央明治政府に対抗する反政府勢力の面々とも接触し、連絡を取り合っていた。
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