清国における「外蒙古」の最初期の用法とは? わかりやすく解説

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清国における「外蒙古」の最初期の用法

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 07:52 UTC 版)

外蒙古」の記事における「清国における「外蒙古」の最初期の用法」の解説

伝祁韻士著『皇朝藩部要略』は、祁韻士編纂した欽定外藩蒙古回部王公表伝』(1779)にもとづいて別人によって編纂された書物で、もっとも早く漠北の「外蒙古」、漠南の「内蒙古」の概念提示したことが確認されている文献である。張穆は『皇朝藩部要略』の校定者でもある。 『皇朝藩部要略』は藩部を「内蒙古」、「外蒙古喀爾喀部」、「額特部」、「回部」、「西蔵部」に区分する。『蒙古遊牧記』は、「外蒙古」を4部86旗、「内蒙古」を6盟49旗、いずれにも属さないオイラト系の諸旗などに分類している。『蒙古遊牧記』が示す「外蒙古4部以下のとおり。 トゥシェート・ハーン部(土謝図汗部) サインノヤン部(賽音諾顔部) チェチェン・ハーン部(車臣汗部) ジャサクト・ハーン部(扎薩克図汗部) 両文献とも、「内」「外」を冠して蒙古」と称するのはゴビ砂漠南北分布する北元系の諸侯諸部族かぎられオイラト系の諸部族は「外蒙古」、「内蒙古」のいずれにも含めていない。

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