清国漫遊・侍講とは? わかりやすく解説

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清国漫遊・侍講

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 00:54 UTC 版)

副島種臣」の記事における「清国漫遊・侍講」の解説

政変による下野後は国典調査勤しみ、太政官修史局小河一敏本田親徳懇意になる明治9年1876年9月20日従者一人連れ東京丸」で横浜出帆し神戸楠木正成祀る湊川神社参拝長崎経て上海渡った蘇州杭州名勝探り北上して天津李鴻章会見李鴻章からは清帝国への奉仕薦められたがこれを固辞副島北京天津経て南方に赴き、湖南に来た頃に曽根俊虎旅館訪ねて来る。副島は、旅館田代屋」に宿泊し品川忠道、小栗栖香頂らとも会った太平天国の乱荒れた上海で、王寅や銭繹子琴、陳詰らと交わり西湖では宋の忠臣岳飛の墓に詣でた。天津では竹添進一郎訪問してきた。上海で斎玉渓や毛対山と親交を結び、満州漢口旅して明治11年1878年)に清国から帰国した明治12年1879年4月21日宮内省御用一等侍講侍講総裁拝命。毎火曜日明治天皇大学中庸尚書進講し前年から論語進講していた元田永孚陪席した。10月に、黒田清隆副島侍講排斥企て内閣宮内省との大問題となる。明治13年1880年1月一度進講中絶したが、明治天皇からの宸翰受け取り以後明治19年1886年)の侍講廃止まで明治天皇への進講続けた

※この「清国漫遊・侍講」の解説は、「副島種臣」の解説の一部です。
「清国漫遊・侍講」を含む「副島種臣」の記事については、「副島種臣」の概要を参照ください。

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