清国統治時代
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1858年6月の天津条約によって台南・安平(アンピン)港や基隆港が欧州列強に開港される前には、イギリス商人ジャーディン・マセソン商会及びデント商会が、清国官吏と結託して台湾島内で産出される樟脳を輸出し、巨額の利益を得ていた。その後多くの西洋列強各国の商人が樟脳輸出に参加し、利益を独占していた。清国政府は、台湾の樟脳の輸出を官業独占とすることを二度試みたが、西洋列強各国(特にイギリス)の商人および各国領事の反対にあって果たせなかった。列強各国商人の独占的地位は確固たるものがあった。
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