上田万平 (内務官僚)とは? わかりやすく解説

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上田万平 (内務官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 13:46 UTC 版)

上田万平

上田 万平(うえだ まんぺい、1880年明治13年)10月4日[1] - 1935年昭和10年)7月8日[2])は、日本の内務官僚実業家。官選県知事

経歴

熊本県天草郡高浜村に上田稲穂の長男として生まれ、上田松彦の養子となる。江戸時代中期から後期に同村の名主を務め、国学者陶芸家として活動した上田宜珍は先祖にあたる[1]第五高等学校を卒業。1906年東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 内務省に入省し北海道庁属となる[1][3]

以後、北海道庁事務官香川県事務官・警察部長、農商務参事官、同書記官静岡県内務部長、京都府内務部長、大阪府内務部長などを歴任[1]

1921年5月、岐阜県知事に就任。三大川上流改修、県庁舎新築、陶磁器試験場設置、自作農奨励資金制度の創設、郡制廃止への対応などに尽力[1]1924年6月、宮城県知事に転任。東北振興第一期総合計画を推進。1926年12月、知事を辞職し退官した[3][4]

退官後は実業界に転じ、1927年(昭和2年)9月、郷里熊本の電力会社熊本電気株式会社の第4代社長に就任する[5]。同社では積極経営を展開し、県外進出を推進、鹿児島県鹿児島電気や熊本南部の球磨川電気大分県の竹田水電などを傘下に収めた[5]1929年(昭和4年)4月にはこのうち球磨川電気の社長にも就任している[5]。また同じく熊本電気系列の熊本保全や九州電力(旧・大淀川水力電気。現在の九州電力管内にかつて存在した事業者の一つ)でも社長を務めた[6]。しかし在職中の1935年(昭和10年)7月8日、出社中に凶漢に襲われ急死した[5]。満57歳没。

栄典

親族

脚注

  1. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』543頁。
  2. ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』71頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』187頁。
  4. ^ 『新編日本の歴代知事』148頁。
  5. ^ a b c d 『九州地方電気事業史』297-300頁
  6. ^ 『人事興信録』第10版 上、ウ28頁。
  7. ^ 『官報』第6450号「叙任及辞令」1904年12月28日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第10版 上、1934年。
  • 九州電力 編『九州地方電気事業史』九州電力、2007年。 





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