ヴェルテ Inc.
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 13:34 UTC 版)
「ヴェルテ=ミニョン」の記事における「ヴェルテ Inc.」の解説
1912年、新会社「M.ヴェルテ・アンド・サンズ Inc.」が設立され、新たな工場がニューヨーク州ポキプシーに建設された。株主は主に米国とドイツにいる創業家のメンバーであったが、エトヴィンの義理の兄弟となったバーニー・ドレイファスも名を連ねていた。 第一次世界大戦中に敵国資産管理法が施行された結果、会社は米国支社と全ての米国特許を失うことになった。これにより会社は大きな経済的苦境に陥った。後の世界恐慌と1920年代からのラジオ、電子再生機器の大量生産により、高価な楽器とその製造会社はほとんど活動停止に追い込まれた。似たような製品を販売していたアメリカン・ピアノ・カンパニーやデュオ=アートもこの頃に表舞台から姿を消し始めていた。 1919年にヴェルテは映画館向きのシアター・オルガンの製造にも乗り出した。1927年頃にトーキーが登場するとこうしたオルガンへの需要もしぼんでいき、1931年にはこの種類の楽器の製造は厳しく削減された。最後の大型シアター・オルガンはハンブルクの北ドイツ放送に注文生産で納入された1台であり、これは現在も現役で演奏されている。博物館などでは他の多くのヴェルテ製のシアター・オルガンが保管されている。 1932年にはカール・ボッキッシュが単独の経営者となっていたヴェルテ社は辛うじて破産を免れている状況で、教会やその他の用途向けの特製オルガンの製造に集中するようになった。 エトヴィン・ヴェルテの最後のプロジェクトとなったのは発光機構を備えた電子オルガンであった。この楽器では初めてアナログサンプリングされた音が使用された。1936年にこのタイプのオルガンを披露するコンサートがベルリン・フィルハーモニーで開催された。こうしたオルガンの製造はテレフンケン社と共同で進められていたが、発明者のエトヴィン・ヴェルテがユダヤ人のベティー・ドレイファスと結婚していたことから、ナチス政府に差し止められてしまう。 1944年にはフライブルクの工業団地が爆撃され、完全に破壊された。これにより、厳重に守られてきた会社の機密が消滅したかに思われ、録音機材や録音技術も完全に失われたかに見えた。しかし、近年になって米国でヴェルテ・フィルハーモニック・オルガン用の録音機材と文書の一部が発見されている。これによって理論的には録音過程を再現することが可能となった。フライブルクのアウグスティーナー博物館(英語版)には、第二次世界大戦の戦禍を逃れた社の遺産が保管されている。
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