ヴァルトシュテッテン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/17 06:48 UTC 版)
「ヴァルトシュテッテン (オストアルプ郡)」の記事における「ヴァルトシュテッテン」の解説
ヴァルトシュテッテンは1275年に Walhstetten の表記でコンスタンツ司教区(ドイツ語版、英語版)の文書 Liber decimationis に初めて記録されている。聖ラウレンティウス教会は当時、この司教区に属していた(現在はロッテンブルク=シュトゥットガルト司教区)。この町名は、「Siedlung des Wal(a)h」(ヴァラーの入植地)または「Siedlung der Welschen」(ヴェルシュの入植地)を意味する (Reichardt II, S. 273)。 ヴァルトシュテッテンは中世にはレヒベルク家の所領に属した。アイヒヘルツレにあったヴァルトシュテッテン城(廃城)は、1449年の都市間紛争で帝国都市軍によって破壊され、再建されなかった。グミュント軍は、その帰路、ヴァルトシュテッテンの戦いで全滅に近い打撃を受けた。 現在ヴァルトシュテッテンに属す地域の中でレヒベルクの所領に属したのは小集落シュトッフェル(1393年に ze Stoffeln と表記)だけであった。1605年から1611年にハンス・フィリップ・フォン・レヒベルクによって建設された小城は三十年戦争によって1643年に早くも破壊された。ヴァルトシュテッテン騎士領は1672年までレヒベルク家の所領に留まったが、この年にハンス・ヴォルフ・フォン・レヒベルク・ツー・レヒベルクハウゼン・ウント・ヴァルトシュテッテンが35,500グルデンでグラーフェンエック伯ヨアヒム・ゴットフリートに売却した。「建物と土地 10,140フローリン(グルデン)、継続的な税 902フローリン、非継続的な税 494フローリン、これに行政権、裁判権、守護権、農奴が含まれる」(OAB S.449)。購入者の息子ゴットフリート・アントンは1699年にヴァルトシュテッテンをエルヴァンゲン修道参事会に売却した。先買の権利を主張しようとしたレヒベルク伯フランツ・アルベルトは傍観するしかなかった。ヴァルトシュテッテンはエルヴァンゲンとともに1802年から1803年にヴュルテンベルク領となった。この町はオーバーアムト・グミュントに編入された。18世紀にパイプ職人の工房がこの町に造られた(1790年/1800年頃には 60人のマイスターがこの仕事に就いていた)。19世紀後半には、隣のグミュントの産業がヴァルトシュテッテンに影響を及ぼし、旋盤工場が稼働し、洋白加工業が成立し、パイプの製造が行われた。 1824年に獲得した市場開催権(家畜市と食料品市)は現在、失効している。ヴァルトシュテッテンはシュヴェービッシュ・グミュント郡(1934年から)を経て、1973年に新たに成立したオストアルプ郡に編入された。 1972年2月1日、それまで独立していた町村ヴィスゴルディンゲンがヴァルトシュテッテンに合併した。
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