ローマ支配前・小史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:16 UTC 版)
アカイア地方(ペロポネソス半島北部)にあるポリスは古代ギリシア時代より高度の自治を有していたが、ギリシア世界における主役となることはなかった。アテナイやスパルタといったギリシアにおける有力ポリスはペロポネソス戦争以降の数々の戦争、紀元前4世紀のマケドニア王ピリッポス2世、アレクサンドロス3世父子の支配時代を通じて、マケドニアに散発的な抵抗を見せるものの、徐々に力を落としていった。紀元前3世紀に、北方のアンティゴノス朝マケドニア王国に対抗するためにアカイア人たちはアカイア同盟を結成した。彼らはイリュリアやカルタゴなどを破って勢力を伸ばしつつあった共和政ローマと手を組み、有力ポリス亡き後の間隙を縫う形でギリシアの覇権を狙い、ギリシアにおける影響力を増そうとするマケドニアや強国への復活を目指すスパルタと対峙した。クレオメネス戦争(紀元前229年-紀元前222年)ではアラトスの指導の下でマケドニアと組んでスパルタ王クレオメネス3世と戦って破り、紀元前2世紀始めにはフィロポイメンの下でスパルタの二人の僭主マカニダスとナビスと戦い、ついに紀元前192年にはナビスの死によって混乱状態にあったスパルタをアカイア同盟に強制的に加入させ、支配下に置いた。ローマとの戦いでマケドニアが凋落するとアカイア同盟はローマと対決したが、紀元前146年に執政官ルキウス・ムンミウス率いるローマ軍とのコリントスの戦いに同盟軍は敗北、コリントスが破壊されアカエア自体もローマへ併合された。なお、コリントの征服者ムンミウスは「アカイアの征服者」を意味する「アカイクス」(Achaicus)のアグノーメン(添え名)を得た。
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