ロランC局建設問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/18 01:03 UTC 版)
閉鎖後も解雇延期となった日本人従業員による施設管理が継続されていたが、在日米軍は地元自治体の土地利用計画に基づく日本政府からの非公式要請を受けて返還を検討した結果、1977年(昭和52年)9月に柏通信所の中央部分を除く土地約93haを返還した。また、未返還部分の95haをアメリカ沿岸警備隊極東支部に移管するとともに、船舶・航空機の航法システムとして運用されていたロランCの北西太平洋チェーンにおける精度及び全天候能力を改善するため、新たに出力350kWのロランC局を建設し、高さ191mのアンテナ設置をはじめとする通信施設の改修、施設・区域内の通過道路の整備、植樹などを行う計画が発表された。 この一部返還では日米地位協定の条項により、返還区域内に位置する柏通信所への出入路を従来通り保持することが条件として定められた。また、返還区域が南北に分断された形となるため、地元側では跡地の一体的な利用計画に支障が出ると懸念されたが、防衛施設庁は「通信施設の中心から半径約300mは専用(立入禁止)地区として、さらにその外側の半径約200mを緩衝地帯として保持する必要があり、合わせて半径約500mの円形の土地を施設・区域内に求めると結果的に中央に寄らざるを得ず、また、従来の通信局舎を改修して利用したいという在日米軍の意向によって中央部分を残す形になった」と国会で答弁した。また、ロランC局については「一般の船舶や航空機も利用可能な航法援助施設であり、必ずしも軍事目的の利用に限られた性質のものではない」と地元側に説明を行っていたが、野党は「原子力潜水艦に指令を出すアメリカの核戦略上の重要施設であり、有事の際に報復攻撃の目標となるおそれがある」と主張し、宅地化や人口増加が進んでいる地域への建設反対を訴えたことから、地元市民・近隣市町の間でも建設反対と早期全面返還を求める機運が高まった。
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