レーベル「マルクス・ペレイラ」設立
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多国籍企業によってブラジル音楽シーンが支配されるさまを見て、マルクス・ペレイラは広告代理店を閉鎖し、音楽の道に専念することを決めた。さらに、ルイス・カルロス・パラナが死去したこともあり、1973年、マルクス・ペレイラはレーベル「O Jogral」を買収し、文化ジャーナリストのアルイジオ・ファルカォン(Aluízio Falcão)とともにレーベル「マルクス・ペレイラ(Discos Marcus Pereira)」を設立した。 しかし、財政的な困難が最初の1年で現れ始めた。ペレイラはレコードの制作に多額の投資をしたが、少なくとも短期的に見れば、その収益でコストを賄うことは不可能だった。やがて危機は持続不可能なレベル近くまで拡大し、賃金延滞に対する抗議運動の末に退職して行く従業員もいた。その中にはファルカォンや、かつてアイアート・モレイラやエルメート・パスコアールらとともに音楽グループ「クアルテート・ノーヴォ」に参加していた音楽家兼編曲家のテオ・ジ・バホスなどがいた。 レーベルが存続した約10年の間に、マルクス・ペレイラ・レーベルは少なくとも144のアルバムをリリースした。この中で注目に値するのは1976年に制作したカルトーラのアルバムで、これはローリング・ストーン・ブラジルが選んだ「ブラジル音楽の偉大なアルバム100」で8位に選出された。そのほかにもブラジル各地の民族音楽を収集し、体系的にまとめた作品群は、評価を得ており、ブラジル北東部の音楽を集めた4枚組(当初は10枚組の予定だったが財政的な理由で4枚になった)アルバム「Musica Popular do Nordeste」によって、マルクスはMIS (Museu da Imagem e do Som do Rio de Janeiro)からEstacio de Sa賞を授与された。 しかし、オイルショックなどにより引き起こされた不景気のなか、マルクス・ペレイラ・レーベルは独立系レーベルとしての活動を終了。マルクスは破産し、個人的な理由によって1981年に自殺した。レーベルのコレクションは、1976年以来レコードの生産を委託していたコパカバーナ・レーベルが管理することとなった。1980年代にコパカバーナが閉鎖されると、コレクションは多国籍企業のEMIブラジル(のちにユニバーサル・ミュージック・グループ系列へ)の傘下に置かれた。
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