レスラーとしての活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 08:48 UTC 版)
「パット・ローチ」の記事における「レスラーとしての活動」の解説
1950年代は柔道家として活動し、全英柔道選手権に優勝後の1960年にプロレスラーに転向(デビュー年は1962年ともされる)。 ボンバー・パット・ローチ("Bomber" Pat Roach)または ビッグ・パット・ローチ("Big" Pat Roach)をリングネームに英国マット界の統括組織ジョイント・プロモーションズで頭角を現し、1969年2月には同組織との提携ルートで国際プロレスに初来日。豊登、サンダー杉山、グレート草津、ラッシャー木村、そして当時の国際プロレスのエースを務めていたビル・ロビンソンとも対戦した。以降もアルバート・ウォールやシーン・リーガンらと共に、ロビンソン渡米後のイギリスのプロレス界を支え、1972年9月にはカール・ゴッチのブッキングで新日本プロレスに参戦。ゴッチとのシングルマッチも行われた。 1975年にはアメリカのカリフォルニア地区に進出し、ロード・パトリック・ローチ("Lord" Patrick Roach)を名乗る英国貴族ギミックのヒールとして活動。ロサンゼルスのNWAハリウッド・レスリングでは、エドワード・カーペンティア、ディノ・ブラボー、ポークチョップ・キャッシュ、S・D・ジョーンズ、ビクター・リベラ、そしてアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した。サンフランシスコでは、アンドレ、パット・パターソン、ピーター・メイビア、ザ・ブルート、アンジェロ・モスカ、 ムーンドッグ・メイン、キンジ渋谷、ヘイスタック・カルホーン、ミスター・レスリングなどが参加したバトルロイヤルにも出場している。 その後もイギリスではジョイント・プロモーションズを活動拠点に、トニー・セント・クレアー、ワイルド・アンガス、ビッグ・ジョン・クインらと対戦。1981年はオットー・ワンツが主宰していたドイツ・オーストリアのCWAにも参戦し、ヨーロッパに遠征してきた若手時代のブレット・ハートにも胸を貸した。同時期、新日本プロレスが提唱していたIWGPにも、ローラン・ボックらと共にヨーロッパ代表として参加が噂された。1982年9月にはノッティンガムにおいて、海外武者修業に出ていたクイック・キック・リーこと前田日明と対戦している。 1986年には前王者セント・クレアーの離脱で空位となっていたブリティッシュ・ヘビー級王座を、キャリア末期の1990年と1991年にはヨーロピアン・ヘビー級王座をそれぞれ獲得している。1992年4月にはウェスト・サセックスのバージェス・ヒルで行われたトーナメントに出場、決勝で同じく柔道出身のピート・ロバーツを破り、優勝を果たした。以降、セミリタイア後も1990年代後半まで、イギリスやドイツでの試合に時折出場していた。
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