ルー・テーズとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/28 04:42 UTC 版)
「エベレット・マーシャル」の記事における「ルー・テーズとの関係」の解説
ルー・テーズのキャリア序盤においても、マーシャルは大きな存在となった。1936年にカンザス州ウィチタで、テーズは、旧NWA世界ヘビー級王座獲得直前のマーシャルと戦っている。この際はテーズはマーシャルに敗れているが、当時トップレスラーであったマーシャルを追い詰めたことに、テーズを売出し中だったプロモーターのトム・パックスは大喜びしたという。 1937年7月の再戦でも、マーシャルはテーズにエビ固めでフォール勝ちする。8月には、マーシャルとテーズはカンザスシティで60分フルタイムドロー。また、11月3日にも対戦し引き分けた。テーズによれば、その後マーシャルはテーズとの再戦を避け続けたという。しかし1937年12月29日に、ミズーリ州でMWA世界王座戦としてマーシャルに挑戦し、王座を奪取した(前述)。当時は、10年程度以上のキャリアを積んだ30歳前後のレスラーが世界王座に就くのが慣例であり(実際、当時マーシャルはキャリア9年で32歳)、テーズが21歳で世界王座となったことは、大きな世代交代を意味した。 1939年2月23日にマーシャルはテーズに敗れて旧NWA世界王座から陥落。同年3月から6月にかけて、テーズと4度リターンマッチを行うが、世界王座の再奪取はならなかった。マーシャルはレスラーとしての活動を縮小させていたときでもあり、この頃にはマーシャルとテーズの実力は完全に逆転していたものと思われる。結局、マーシャルとテーズは11度対戦し、マーシャルから見て2勝4敗5分であった。 後述するように、テーズはマーシャル対策にかなり腐心しており、テーズの代名詞ともいえるバックドロップもマーシャル戦のために生まれた技であった。 日本では、とくに1930年代に活躍したレスラーは一般にはテーズしか知られていないこともあり、マーシャルはテーズが世界王座を奪取した際の相手として紹介されることが多い。
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