エベレット・マーシャル
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エベレット・マーシャル(Everett Marshall、1905年11月4日 - 1973年2月10日)は、アメリカ合衆国のプロレスラー。1930年代後半に旧NWA[注釈 1]で活躍した。
注釈
- ^ 一般にNWAと言えばNational Wrestling Alliance(全米レスリング同盟)を指すが、ここではNational Wrestling Association(全米レスリング協会)を指す。ここでは前者を新NWA、後者を旧NWAと呼ぶ。旧NWAは1921年に発足したNBA(National Boxing Association、全米プロボクシング協会。現在のWBAの前身にあたる)のレスリング部門として1929年に発足した。1930年に正式にNWAとして独立し、1960年代まで存続した。その間、エベレット・マーシャルをはじめ、ジム・ロンドス、ルー・テーズなどの一流のレスラーを擁した。新NWAは1948年にアイオワ州のピンキー・ジョージやセントルイスのサム・マソニックらが結成した連盟で、草創期にはオーヴィル・ブラウンらを擁した。1949年に新NWA王者のブラウンと旧NWA王者のテーズによるタイトルマッチが企画され(ブラウンが自動車事故により引退したためにテーズが戴冠)、以降はテーズを中心に新NWAが全米マット界を席巻した。両者はしばしば混同される。
- ^ a b エド・ルイス(Ed Lewis、1891年6月30日 - 1966年8月8日)は1920年代から30年代に活躍したプロレスラー。1920年12月13日に統一世界ヘビー級王者となり、同王座を3度戴冠。マネージャーのビリー・サンドウ、プロモーターのトゥーツ・モントとゴールドダストトリオ(Gold Dust Trio)と呼ばれ、近代的なプロレスビジネスを成功させた。ヘッドロックやスリーパーホールドの名手で、ストラングラー(絞殺し屋)と恐れられた。1942年にMWA世界ヘビー級王者となったのを最後に引退。その後はルー・テーズのマネージャーを務めるなど、多くの後進を育てた。
- ^ ヤング・ゴッチはMWAのプロレスラー。アル・ハフト(Al Haft)としてのほうが知られている。プロモーターとしてMWAを主宰し、オハイオ州を中心に全米で影響力を持った。ビル・ミラーをスカウトしたほか、ディック・ハットンやザ・デストロイヤーを育てた。また、カール・クラウザーをカール・ゴッチと改名させたのもハフトである。
- ^ アリ・ババ(Ali Baba)は1930年代に活躍したプロレスラー。1920年代までの地味なレスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)とは一線を画す、近代的なプロレスを始めた最初期のレスラーである。その分従来のレスラーに比べて非力と言われたが、1936年4月24日に旧NWA世界ヘビー級王座を獲得した。また、戦前の日本人レスラー志熊俊一とも戦った。
- ^ この点に関しては、1937年12月29日まで保持し続け、ミズーリ州セントルイスでルー・テーズに敗れてタイトルを失ったという説もある。実際は1936年にマーシャルがタイトルを返上し、1937年9月13日にジョン・ペゼック(John Pesek)が買収していた。一方、1937年12月29日には、旧NWA戦ではなくMWA戦としてルー・テーズがエベレット・マーシャルを破ったことから、この日をもってテーズはMWA王者に認定されたと考えられる。なお、新NWA王座の系譜では、テーズは1937年12月29日にNWA世界王座を獲得したこととされているが、上記のように実際はMWA王座である。このとき、旧NWA王者はジョン・ペゼックのままであり、ベゼックは翌年の1938年8月17日に王座を剥奪されるまで在位している。
- ^ しかしこの試合は、エアプレーン・スピンを受けたマーシャルが場外へ逃げて試合放棄となったもので、テーズがフォールやギブアップを奪ったわけではない。ゆえにテーズはMWA世界王者に認定されなかったと見る向きもある(短期間認定されていたとの説もある)。この説をとれば、しばらく空位となり、ジョン・ペゼックが1938年に旧NWA世界ヘビー級王座を剥奪された際に新たにテーズがMWA世界ヘビー級王座に認定された。
- ^ リトル・ビーバー(Chief Little Beaver、1904年1月17日 - ?)はノースカロライナ州チェロキー生まれのレスラー。1927年12月25日にデビュー。1930年代から1940年代に活躍し、1958年に引退した。ルー・テーズとも3度対戦している(いずれも敗戦)。
- ^ a b 1930年代に創設されたタイトルで、当時は単にテキサス州ヘビー級王座とされた。1948年にNWAテキサス版王者となり、新NWAが衰退を始める1985年にWCWAテキサス州ヘビー級王座と改名。以降、短期間のうちに幾度となくタイトルが変わるが、1998年に再びNWAテキサス州ヘビー級王座とされ現在に至る。1944年にルー・テーズが獲得したほか、アントニオ・ロッカ、バーン・ガニア、ザ・シーク、ジン・キニスキー、ハロルド坂田、デビッド・フォン・エリックらも獲得したことのある歴史あるタイトル。
- ^ スティーブ・ケーシー(Steve Casey、1908年12月4日 - 1987年1月10日)はアイルランドのボート競技選手で、1930年から1933年までソルター選手権を連覇し1936年に全英チャンピオンになった。1935年にアマチュアレスリングを始め、1936年3月3日には当時のアイルランド・カナダヘビー級王者のポール・デュヴィーンをノンタイトルマッチで破ってプロレスデビューした。1938年2月11日にルー・テーズを破って旧NWA世界ヘビー級王者となったが9月に剥奪される。その後はAWAを主戦場に活躍し、1947年に引退した。
- ^ 実際は欧州で、世界王者を名乗りプロレスで稼いでいたことが発覚し、NWAの怒りを買った。
- ^ 年次総会での投票の結果、ケーシーの王座剥奪は全会一致で承認され、またマーシャルの王者就任が8-6で承認された。
- ^ コロラド州やニューメキシコ州で認定されていた王座で、1930年代まではインターマウンテン・ヘビー級王座がロッキーマウンテン・ヘビー級王座としても認定されていた。1930年代後半もしくは1940年代前半頃に独立して創設され、エベレット・マーシャルのほか、バディ・ロジャース、ドン・レオ・ジョナサン、パット・オコーナー、ルー・テーズ、リッキー・ロメロ、チャボ・ゲレロも獲得した。1980年頃まで存続した。
- ^ ニューヨーク州アムステルダムにあるプロレスの殿堂で、アメリカのプロレス史上の偉大なレスラーを顕彰し記録するために設立されたもの。WWE殿堂と異なり、どのプロモーターにも属していない。フランク・ゴッチ、ジョージ・ハッケンシュミット、エド・ルイス、ルー・テーズ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木などが殿堂入りしている。
出典
- ^ a b c d The Professional Wrestling Hall of Fame and Museum
- ^ a b 『鉄人ルー・テーズ自伝』、pp.107-108.
- ^ テキサス州ヘビー級選手権
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』、pp.113-114.
- ^ a b NWA(ナショナル・レスリング・アソシエーション)世界ヘビー級選手権
- ^ a b 『鉄人ルー・テーズ自伝』、p.122.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』、p.84.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』、p.107.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』、付表.
- ^ 『鉄人ルー・テーズ自伝』、p.106.
- ^ Everett Marshall Opponents - WRESTLINGDATA.com
- ^ Everett Marshall Titles - WRESTLINGDATA.com
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