ルー・テーズ杯争奪リーグ戦
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1983年に若手選手によるリーグ戦「ルー・テーズ杯争奪リーグ戦」が開催された。当リーグ開催の2年前に国際プロレスが主催し、団体崩壊のため決勝大会が中止になった同名の大会とは一切無関係。 参加8名 越中詩郎:6勝1敗 ※優勝 三沢光晴:5勝1敗1分 ※準優勝 菅原伸義:4勝2敗1分 百田義浩:4勝2敗 百田光雄:4勝2敗 後藤政二:1勝5敗1分 冬木弘道:1勝5敗1分 川田利明:7敗 大会内容 4月22日の札幌中島体育センター大会でリーグ戦上位2名による決勝戦が行われ、越中詩郎が三沢光晴を下し優勝した。決勝戦のレフェリーをルー・テーズが務めた。優勝した越中には海外武者修行の権利が与えられたが、決勝戦が好勝負であったため当時の社長であるジャイアント馬場の計らいで、準優勝の三沢にも海外武者修行の権利が与えられた。なお、実の兄弟である百田義浩と百田光雄は対戦しなかった。
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