ルーデンドルフの市内一番乗り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 01:18 UTC 版)
「リエージュの戦い」の記事における「ルーデンドルフの市内一番乗り」の解説
8月5日、ドイツ軍の歩兵はリエージュ前面に到達し、要塞東側の4個の堡塁を攻撃した。だが歩兵に随伴していた小口径砲による砲撃は何の効果もなく、ドイツ兵は堡塁からの機関銃の射撃にさらされ次々となぎ倒された。後にヴェルダンやソンムで繰り返された生命の浪費はこのとき始まったのである。この攻撃でドイツ軍第14旅団のフォン・ヴッソー旅団長が戦死し、ルーデンドルフが同旅団の指揮を引き継いだ。 6日未明、ルーデンドルフは第14旅団を率いて果敢に前進し、エヴェネー堡塁とフルロン堡塁との間を通り抜けることに成功した。さらにドイツ軍はツェッペリン飛行船を使ってリエージュへの初空襲を行い、また騎兵がミューズ川を渡ってリエージュを包囲する構えを見せた。ルマンはリエージュの包囲に危機感を抱き、市内にあった第3師団に西方への撤退を命じた。リエージュのためにベルギー軍の貴重な6個師団のうち1個を犠牲にすることはできなかったのである。 このときルーデンドルフは卑劣な策略を実行した。イギリス兵に見せかけた将校6名と兵士30名をベルギー軍の司令部へ潜入させ、ルマンを暗殺しようと謀ったのである。副官のマルシャン大尉は異状に気づき「英国兵じゃない、ドイツ兵だ」と叫んだ。刺客たちは即座にマルシャンを殺害したが、次の瞬間、他の幕僚たちの反撃に遭い全員が射殺された。ルマンは西側のロンサン堡塁へと脱出した。 7日、リエージュ市内の抵抗は終了したと思い込んだルーデンドルフは副官1名のみを連れ乗用車で市内へ向かった。このときドイツ軍の前衛部隊はまだ到着しておらず、ルーデンドルフは単身で市内へ一番乗りした形となった。ベルギー第3師団はすでに撤退しており、残留していた市長はルーデンドルフに対して降伏を申し入れた。
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