ラッキー・ジャーヴィス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 00:16 UTC 版)
「ジャーヴィス (J級駆逐艦)」の記事における「ラッキー・ジャーヴィス」の解説
ジャーヴィスは戦争中、幸運な艦であるとみなされていた(準同型艦のケリーが不幸な艦とみなされていたことと対照的である)。5年半という長い戦争期間、参加した戦闘のうち主要なものだけでも13回を数えた激しい戦歴にもかかわらず、乗員から一人も戦死者を出すことがなかったという稀有な記録を持っている。 敵潜水艦から雷撃を受けるも、魚雷が艦底を通過して無事だったり、6発の音響機雷が次々と爆発しても軽微な損傷で済むなど危険な状況を幾度も切り抜けた。 1944年1月23日のアンツィオの戦いにおけるジャーヴィスのエピソードは、その幸運の一つと言ってよいかもしれない。上陸作戦を支援中だったジャーヴィスと僚艦ジェーナスはドイツ空軍機による空襲に見舞われた。両艦はドイツの対艦ミサイルHs293による攻撃を受け被弾し前部弾薬庫が誘爆したジェーナスが沈没、多数の犠牲者を出した。 一方のジャーヴィスも艦首を吹き飛ばされたが、自力で安全にナポリまで後退できた。驚くべきことにこの事件でジャーヴィスの死傷者はゼロであり、そしてジェーナスの生存者を救助することができた。 アンツィオの戦い直後にジャーヴィスの艦長に着任し1944年9月まで務めたロジャー・ヒル元少佐は、著書の中でジャーヴィスについて次のように記している。 <ジャービス>は"幸運なジャービス"としても知られていた。(中略)だが、彼女がモノスゴイ幸運艦であることの証拠は、アンツィオ沖での、あの空襲にも明らかだ。(中略)さすがの<ジャービス>も、このとき、そのツキは離れたかに見えた。とうとう滑空爆弾に飛び込まれ、艦首部分がなくなってしまったのだ。が、やはり奇跡は起きていた。戦死者どころか一人の負傷者も出ていない。しかも驚いたことに、一人の水兵が一服つけようと思い、前部砲塔の陰に立っていたのだが、その彼さえもがかすり傷一つ負わなかった。幸運艦の太鼓判を押されたフネに乗るのは有り難い。本艦は絶対に沈まない、という信念が乗員全部に行き渡っており、それは確実に士気を高めていた。(中略)そして、<ジャービス>の艦長勤務が長くなるにつれ、この幸運というものについての宿命論的考えは強くなっていった。 — ロジャー・ヒル 著/雨倉孝之 訳『死闘の駆逐艦』 p317 - p318
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