ラジオ&レコーズとビルボードの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/17 22:30 UTC 版)
「ラジオ&レコーズ」の記事における「ラジオ&レコーズとビルボードの関係」の解説
アメリカの音楽チャート業界の中では最後発のため、会社立ち上げ当初は認知度も信頼度も低かった。ところがライバルであるビルボードが1991年11月に集計方法を大きく変え、その後迷走したことから、ラジオ&レコーズの快進撃が始まった。 それまで、ビルボード(Hot 100)も集計対象の重心はエアプレイにあり、ロックやポップス、ブラックミュージックなどいろいろなジャンルがチャートを賑わしてきたのだが、1991年11月に突如集計方法をそれまでのエアプレイ中心からセールス中心に切り替えてしまった。(シングル盤の売れ行き低迷に端を発する)その結果、ビルボードHOT100のチャートはブラックミュージック(特にヒップホップ)に傾倒したチャートになってしまい、さらにTop40(ポップ系)からRhythmic、Urbanなどにクロスオーヴァーヒットする曲が続出し、数か月にわたり1位を独占し続けるなど、一部のポップソングファンの不満を買うようになったといわれる。シングル盤の発行枚数が少なく集計上のハンデが大きいロックやメインストリームラジオ局で多くかかっているポップソングはチャート上位に上がってこず、エアプレイオーディエンスの多いダーティーなヒップホップやR&Bの曲が席巻するようになったビルボードに対し、単純にエアプレイ数を基に順位を付けているラジオ&レコードのシンプルなチャートへ乗り換えるポップファン(特に白人層や富裕層、若者層)が続出し、ビルボードはその後何度か集計方法を弄ったものの、相変わらずブラックミュージックが強かった。 また、ビルボードHOT100を紹介していた人気ラジオ番組『American Top 40』は初代司会者のケーシー・ケーサムが局との軋轢で1988年に番組降板し、2代目のシャドー・スティーブンスに交代したものの、ケーシーはすぐに対抗番組『Casey's Top 40』を立ち上げる。さすがにビルボードのチャートは使用できないため、ケーシーはラジオ&レコーズのチャートを番組で使用した。ところが、シャドーへの交代を快く思っていなかった『American - 』の一部ネット局が『Casey's - 』に乗り換えたため、王者『American Top 40』にかげりが見え始める。そして1991年11月のHOT100集計方法変更でAT40は大量のリスナーを喪失するという決定的な打撃を受けることになり、最終的には番組自体が打ち切られてしまう(1995年)。一方、ケーシーはかつての名門番組を復活するべく1998年に『Casey's Top 40』をそのままリニューアルする形で『American Top 40』に改称し、AT40は名目上復活を果たすも、チャートソースはラジオ&レコーズのままであったので、かつてビルボードの代名詞であった『AT40』は完全にラジオ&レコーズに乗っ取られた格好になった。これは司会者がケーシーからライアン・シークレストに変わった現在においても、基本的な形態は変わっていない。 ところが2006年7月にビルボードの親会社であるVNUがラジオ&レコーズを買収したため、ラジオ&レコーズのチャートはビルボードのチャートソースであるNielsen Broadcast Data Systemsによるオンエア回数をもとにしたチャートに変わってしまった。ラジオ&レコーズもビルボードもチャートソースが同じになったため、ラジオ&レコーズのCHR/Top 40 ChartとビルボードHOT100は集計している対象が別々ではあるが、双方とも影響を受けるようになっている(R&Rの各フォーマット別チャートであるCHR/Top40、Rhythmic、Urbanなどのオーディエンスを合算したものがビルボードHot 100 Airplayチャートと同じになる)。
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