ヨーロッパ人の接触以前(- 1716年)
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「ナチェズ (ミシシッピ州)」の記事における「ヨーロッパ人の接触以前(- 1716年)」の解説
詳細は「ナチェズ」を参照 考古学発掘調査に拠れば、西暦8世紀以降、様々な文化を持った先住民が継続してこの地域に住んでいた。ナチェズ市となった当初の場所は、ミシシッピ文化の一部であるプラークマイン文化の人々が建設した、儀式用檀付きマウンドのある大きな村として発展した。考古学の証拠からは、彼等が1200年までに3つの大きなマウンドを造り始めていたことが分かっている。さらに15世紀半ばにも工事が行われていた。 17世紀後半から18世紀初期、プラークマイン文化の後裔であるナチェズ族(ノチと発音された)がこの地を占有した。彼等はエメラルド・マウンドの地域を去った後で、この地を儀式の中心として使った。マウンドBには酋長である「グレートサン」の住居など、マウンドを追加し、マウンドCには特権階級のための寺院と遺体安置所を組み合わせたものを造った。エルナンド・デ・ソト、ラ・サール、ビヤンビルなど初期ヨーロッパ人探検家の多くがこの場所でナチェズ族と接触し、ナチェズのグランドビレッジと呼んだ。彼等の証言はその社旗と村の様子を伝えている。ナチェズ族は貴族と一般人に別れた階級社会を維持し、母系によって繋がっていた。大酋長であるグレートサンはその母の地位によって酋長の位を得ていた。 ナチェズのグランドビレッジは広さが128エーカー (0.52 km2) あり、アメリカ合衆国国定歴史建造物として保存され、ミシシッピ州公文書歴史省によって維持されている。この場所にはマウンドや村から出てきた人工物を収めた博物館、ピクニック用パビリオン、歩道がある。近くにあるエメラルド・マウンドも国定歴史登録財になっている。
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