ヨーロッパ人の訪れおよび土地の種族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/01 00:17 UTC 版)
「カンザス州の歴史」の記事における「ヨーロッパ人の訪れおよび土地の種族」の解説
1541年、スペインのコンキスタドール、フランシスコ・バスケス・デ・コロナドがカンザスを訪れ、リンズボーグの「コロナド高地」近くまで引き返したと言われている。コロナドの遠征隊はプレーンズ・インディアンに馬を紹介し、急速にその生活様式と範囲を変えた。この変化に続いて、カンザ族(時としてコー族)やオーセージ族(元はウーサシュ族)が1600年代にカンザスに到着した(カンザ族は1673年以来この地に住み着いたと主張した)。18世紀の終わりまでに、これら2種族はカンザスの東部で支配的な種族となり、カンザ族はカンザス川の北に、オーセージ族はアーカンザス川の南に住んだ。同時にポーニー族(時としてパニーサ族)が、カンザ族やオーセージ族の西や北の平原に支配的な種族となった。この地にはアメリカバイソンの大群がいた。ヨーロッパ人は1719年に北部ポーニー族を訪れた。オーリンズ砦のフランス軍指揮官エティエンヌ・ド・ブールモンが1724年にカンザス川を訪れ、河口のカンザ族主要集落の近くに交易拠点を設立した。同じ頃、スー族の中のオトー族もカンザス北東隅周辺の様々な地域に住んだ。
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