モービル市とモービル湾とは? わかりやすく解説

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モービル市とモービル湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)

モービル湾の海戦」の記事における「モービル市とモービル湾」の解説

モービル市はモービル最奥部近くにあり、モービル川とテンソー川が合流してメキシコ湾に注ぐ、天然良港だった。湾の長さは約33マイル (53 km)、下流部最大幅は約23マイル (37 km) である。下流部浚渫を行わなくても外洋船が通ることのできる水深があったが、ドッグ河口より上流浅くなって、喫水の深い船舶モービル市に近づけなかった。 湾口の東は細長い砂州のモービル・ポイントがあり、ボンセカー湾とメキシコ湾分け、ボンセカー川が注いでいる。この陸地モービル湾に入る海峡終わっており、平和な時代外敵からモービルを守るためにアメリカ合衆国政府が砦を築いていた。 海峡挟んで西側は、ドーフィン島に始まる一連のバリア諸島続いている。ドーフィン島の北西にリトルドーフィン島があり、一連の小さな島の間にモービル湾に入る2つめの海峡グラント海峡がある。ドーフィン島の南にも幾つかの小島浅瀬があり、モービル湾入口より南10マイル (16 km) ほどの主水路となっている。 開戦初期アメリカ連合国政府海岸全体を守ることはしないことに決めたが、守備を最も重要な港と港湾幾つか集中させることにした。1862年4月ニューオーリンズ港を失った後は、メキシコ湾東部モービル唯一の守るべき主要港となったモービル市はその後メキシコ湾における封鎖破り中心になった。アメリカ連合国ハバナなどカリブ海の港との貿易大半モービル通じて行われた封鎖を破る試み数回行われたが、その効果継続させられるほと大きなものでは無かった。この戦争北軍海軍を最も当惑させた出来事は、1862年9月4日襲撃CSSフロリダ封鎖破ってモービル湾に入ったことであり、さらに1863年1月15日にはフロリダの湾からの脱出許していた。 西メキシコ湾封鎖戦隊戦隊長デヴィッド・ファラガットはその指揮任され時にモービル市とニューオーリンズ市占領する指示含めた命令受けていたが、初期ミシシッピ川下流への作戦忙殺されモービル市と港は注目されていなかった。それが変わったのは1863年ヴィックスバーグ陥落してからだった。 北軍戦略遅延乗じて南軍湾入口のモーガン砦とゲインズ砦を強化することで、モービル湾の守り固めた。さらにより小さなパウエル砦を建設してグラント海峡水路守ったグラント海峡など障害物でも守られ、それが潮流ヘロン海峡逸らせ効果があった。

※この「モービル市とモービル湾」の解説は、「モービル湾の海戦」の解説の一部です。
「モービル市とモービル湾」を含む「モービル湾の海戦」の記事については、「モービル湾の海戦」の概要を参照ください。

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