モーガン砦の包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 05:03 UTC 版)
「モービル湾の海戦」の記事における「モーガン砦の包囲戦」の解説
ゲインズ砦が降伏してから間もなく、グレンジャーは部隊をドーフィン島からモーガン砦背後の本土に繋ぐ細い陸地に移した。モーガン砦の大砲射程に入らない約4マイル (6.4 km) 離れた地点に抵抗も無く上陸した。即座に砦の状態が調査され、モービル市との通信手段が全て遮断された。 グレンジャーは砦に対して通常の攻城法に取りかかった。すなわち塹壕あるいはその他の防御線を構築して対象に近付いていき、最後はその壁を破って突撃で奪うというものだった。最初の防御線は既にあった。砦の守備隊が準備していた塹壕線であり、何らかの理由で放棄されていた。砦から1,400ヤード (1,300 m) の位置にあり、少し遠かったが十分役には立った。さらに並行した防御線が大した障害も無く造られた。工作者は砂丘の陰で働くことができた。 この工作が進んでいる間に、ウィニベイゴ、チカソー、マンハッタンの装甲艦3艦が時折艦砲射撃を行っていた。これには8月5日に捕獲したテネシーが修繕され、USSテネシーと改名されて加わった。この期間の進行に最も障害になったのは天候だった。8月20日の防風が暫くの間作業を停め、低地には水溜まりができた。8月22日には攻城用迫撃砲16門、様々な大きさの大砲18門、および艦隊から砦が1日中砲撃された。装甲艦とテネシーは短い射程から、その他の艦は遠い射程から発砲した。 砦の中ではペイジ准将が、砲撃によって火薬庫が危険に曝されることを怖れていた。そこには8万ポンド (36 トン)の火薬があった。この危険性を避けるために火薬を持ち出し、水に浸けさせた。その夜城砦の木枠が火事になって火薬庫が本当に危険な状態になった。この火事で砲撃の精度を増させ、大変な努力で消し止められた。 8月23日、ペイジはこれ以上の抵抗が無益だと考え、残っていた大砲を釘止めさせ、あるいはできるだけ破壊するよう命じた。午前6時、白旗を揚げるよう命令し、包囲戦は終わった。
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