USS テネシー
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「テネシー (装甲艦・2代)」の記事における「USS テネシー」の解説
テネシーを鹵獲した後、北軍は直ちに損傷箇所を修理し、合衆国海軍に編入した。艦長にはピエール・ジロード大尉が任命された。テネシーは8月23日のモーガン要塞の攻撃に参加し、同日の要塞降伏をもたらした。秋に入って、テネシーはモービルからルイジアナ州ニューオーリンズに移動し、修理後にミシシッピ川艦隊に加わった。翌年4月の戦争終了後もしばらくの間、テネシーはミシシッピ川に留まった。1865年8月19日、テネシーは退役しニューオーリンズでドックに入った。1867年11月27日にオークションでJ.F. アームストロングに売却されるまでその地にあった。船体はスクラップにされたが、7インチブルック施条砲2門および6.4インチブルック施条砲2門は、現在もワシントン海軍工廠の兵器博物館に展示してある。二重帯補強型6.4インチブルック施条砲1門がバージニア州ノーフォークのアメリカ艦隊総軍に展示してある。
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