メカニズムの発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 05:56 UTC 版)
この機構は、ソ連の天文学者 Mikhail Lidov が惑星の自然衛星と人工衛星の軌道を解析する過程で初めて記述された。リドフの最初の論文が出版されたのは1961年であり、これは『Iskusstvennyye Sputniki Zemli』というロシア語の学術誌であった。1962年にそれを英語に翻訳したものが出版された。 リドフは、自身の研究を1961年11月20〜25日にモスクワで開かれた Conference on General and Applied Problems of Theoretical Astronomy で発表した。この研究会の参加者には日本人天文学者の古在由秀もおり、後に古在もこの効果を木星によって摂動を受ける小惑星に適用した研究論文を発表した。古在がこの論文をアストロノミカルジャーナルに投稿したのは1962年8月末であり、査読を経て受理され出版されたのは同年11月である。また、リドフの1961年の最初の論文が英訳され『Planetary and Space Science』誌で出版されたのは、1962年10月である。 一般的には、このメカニズムはリドフと古在によって、同時期に独立して見出されたものだと認識されている。ただし古在の1962年の論文では、リドフが1962年のパリの学会で発表した月の周りの天体の運動に関する講演が引用されている。またリドフも研究を進める過程で古在による研究の存在を知ったと考えられ、後の研究では古在の1962年の論文を引用している。そのため2019年に古在機構に関連する過去の文献のサーベイ研究を行った国立天文台の伊藤孝士らは、完全に独立に発見されたとする従来の認識とは異なり、このメカニズムの発見初期においてリドフと古在の研究の間には一定の相互作用が存在したとの見解を示している。 なお、古在機構に関する研究の歴史を記述した別の研究では、最初にこのメカニズムを見出したのはリドフであり、古在はその概念を西側諸国へ普及させたとする見方も存在する。例えば Scott Tremaine と Tomer D. Yavetz による論文では、1960年代初頭にリドフが発見し、古在によって西側諸国へもたらされたとの見解が示されている。
※この「メカニズムの発見」の解説は、「古在メカニズム」の解説の一部です。
「メカニズムの発見」を含む「古在メカニズム」の記事については、「古在メカニズム」の概要を参照ください。
- メカニズムの発見のページへのリンク