ムスチスラフとダニールとは? わかりやすく解説

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ムスチスラフとダニール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 05:49 UTC 版)

ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の記事における「ムスチスラフとダニール」の解説

その後アンドラーシュ2世ガーリチポーランド領を奪ったことで、ハンガリー・ポーランドの同盟は再び崩れたレシェクはスモレンスク・ロスチスラフ家の、当時ノヴゴロド公にあったムスチスラフ通称ウダトヌィー)と結んだ。そしてムスチスラフガーリチ公に就いているが(その在位については、1215年以降1216年以降1219年以降などと諸説ある)、ガーリチ公位を得たムスチスラフは、自身の娘・アンナダニールに嫁がせ、ポーランドとなっていたブク川西岸の地をヴォルィーニ公国領とした。レシェク再度ハンガリーと結び、ポーランド・ハンガリー連合軍ガーリチ攻め寄せたムスチスラフ配下トィシャツキー千人長)・ヤルンの守るペレムィシュリは陥落し、ドミトルの指揮するムスチスラフ先陣はゴロドク(ru)で破れたムスチスラフは、ダニールアレクサンドルガーリチ守備託すと、チェルニゴフ公国からの援軍と共にズブラ川(ru)へと向かった。しかしムスチスラフ破れガーリチから撤退した1220年1221年に、ムスチスラフは二回のガーリチ奪回遠征軍起こした最初の遠征ガーリチ郊外会戦とどまったが、二回目遠征ではガーリチを陥とし、ガーリチ公カールマーン捕らえたカールマーントルチェスク護送された。アンドラーシュ2世和平条約結んで息子カールマーン解放すると、同じく息子自身同名)のアンドラーシュと、ムスチスラフの娘・マリヤとの間に婚儀締結した。なお、このムスチスラフ遠征軍迎え撃ったハンガリー司令官は、ルーシ年代記ではフィリャ(ru)と記されている。また、この遠征後、ダニールベルズ公国領へ侵攻荒廃させている。 なお、1223年モンゴル帝国軍がルーシ侵入すると、南西ルーシ諸公一時的に連合し、これに当たったダニール、ムスチスラフ・ウダトヌィー、ムスチスラフ・ネモーイらも参戦しポロヴェツ族をも加えた連合軍であったが、カルカ河畔の戦い敗れたキエフ大公ムスチスラフトゥーロフ公アンドレイコゼリスク公ドミトリーなど複数ルーシ諸公死亡したが、ダニールらは戦場からの撤退成功している。 1226年アンドラーシュ2世の子ベーラ(後のハンガリー王ベーラ4世)がガーリチ侵攻したベーラはテレボヴリ、チホムリを陥落させるが、クレメネツは陥とせず、ズヴェニゴロド近郊でムスチスラフ・ウダトヌィーに敗れたまた、レシェク発したハンガリーへの援軍は、ダニールによって封鎖された。 1227年ルーツク公にあったムスチスラフ・ネモーイは死に際し、ダニールルーツク公国相続させ、息子イヴァン後見を託そうとした。これは当時相続法(ru)(年長順番制)に反するものであり、継承主張するヤロスラフ(ムスチスラフ・ネモーイの兄)がルーツク占拠したダニールは軍を派遣してヤロスラフを破ると、弟のヴァシリコにルーツク公位を与えた同年ピンスク公ロスチスラフ(トゥーロフ・イジャスラフ家(ru))が、ヴォルィーニ公国領の都市チャルトルィスクを占拠するが、ダニールはこれを奪還しロスチスラフの子らを捕虜とした。1228年ピンスク公ロスチスラフは、キエフ大公ウラジーミル(スモレンスク・ロスチスラフ家)、チェルニゴフ公ミハイル(チェルニゴフ・オレグ家)、ポロヴェツ族コチャンの軍と共にカメネツダニール包囲するが、ダニールはこれを退け逆にベルズ公アレクサンドルポーランド軍と共にキエフ攻め上がり和平条約締結させた。 1228年ガーリチ公にあったムスチスラフ・ウダトヌィーが死亡すると、ダニールガーリチ公国獲得動き始めたガーリチボヤーレからも、ガーリチ公位への招聘の声が上がった(スジスラフ(ru)など反対派を除く)。1229年ダニールウラジーミル(ru)(先にルーツク公位の継承主張したヤロスラフの子と共にガーリチ包囲攻略すると、ガーリチ公についた。それは即座にベーラ指揮官とするハンガリー軍侵攻引き金となった。しかしダニール陣営にはポーランド軍加勢しハンガリー遠征失敗した1230年ダニール排斥謀るガーリチボヤーレベルズ公アレクサンドル内通する露見しアレクサンドルダニールの弟ヴァシリコにベルズ奪われた。

※この「ムスチスラフとダニール」の解説は、「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の解説の一部です。
「ムスチスラフとダニール」を含む「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の記事については、「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の概要を参照ください。

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