ムスチスラフとダニール
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「ガーリチ・ヴォルィーニ公国統一戦争」の記事における「ムスチスラフとダニール」の解説
その後、アンドラーシュ2世がガーリチのポーランド領を奪ったことで、ハンガリー・ポーランドの同盟は再び崩れた。レシェクはスモレンスク・ロスチスラフ家の、当時ノヴゴロド公位にあったムスチスラフ(通称ウダトヌィー)と結んだ。そしてムスチスラフがガーリチ公位に就いているが(その在位については、1215年以降、1216年以降、1219年以降などと諸説ある)、ガーリチ公位を得たムスチスラフは、自身の娘・アンナをダニールに嫁がせ、ポーランド領となっていたブク川西岸の地をヴォルィーニ公国領とした。レシェクは再度ハンガリーと結び、ポーランド・ハンガリー連合軍はガーリチへ攻め寄せた。ムスチスラフ配下のトィシャツキー(千人長)・ヤルンの守るペレムィシュリは陥落し、ドミトルの指揮するムスチスラフの先陣はゴロドク(ru)で破れた。ムスチスラフは、ダニールとアレクサンドルにガーリチの守備を託すと、チェルニゴフ公国からの援軍と共にズブラ川(ru)へと向かった。しかしムスチスラフは破れ、ガーリチから撤退した。 1220年、1221年に、ムスチスラフは二回のガーリチ奪回の遠征軍を起こした。最初の遠征はガーリチ郊外の会戦にとどまったが、二回目の遠征ではガーリチを陥とし、ガーリチ公カールマーンを捕らえた。カールマーンはトルチェスクに護送された。アンドラーシュ2世は和平条約を結んで息子カールマーンを解放すると、同じく息子(自身と同名)のアンドラーシュと、ムスチスラフの娘・マリヤとの間に婚儀を締結した。なお、このムスチスラフの遠征軍を迎え撃ったハンガリーの司令官は、ルーシの年代記ではフィリャ(ru)と記されている。また、この遠征後、ダニールはベルズ公国領へ侵攻、荒廃させている。 なお、1223年、モンゴル帝国軍がルーシに侵入すると、南西ルーシの諸公は一時的に連合し、これに当たった。ダニール、ムスチスラフ・ウダトヌィー、ムスチスラフ・ネモーイらも参戦し、ポロヴェツ族をも加えた連合軍であったが、カルカ河畔の戦いで敗れた。キエフ大公ムスチスラフ、トゥーロフ公アンドレイ、コゼリスク公ドミトリーなど複数のルーシ諸公が死亡したが、ダニールらは戦場からの撤退に成功している。 1226年、アンドラーシュ2世の子ベーラ(後のハンガリー王ベーラ4世)がガーリチへ侵攻した。ベーラはテレボヴリ、チホムリを陥落させるが、クレメネツは陥とせず、ズヴェニゴロド近郊でムスチスラフ・ウダトヌィーに敗れた。また、レシェクの発したハンガリーへの援軍は、ダニールによって封鎖された。 1227年、ルーツク公位にあったムスチスラフ・ネモーイは死に際し、ダニールにルーツク公国を相続させ、息子イヴァンの後見を託そうとした。これは当時の相続法(ru)(年長順番制)に反するものであり、継承権を主張するヤロスラフ(ムスチスラフ・ネモーイの兄)がルーツクを占拠した。ダニールは軍を派遣してヤロスラフを破ると、弟のヴァシリコにルーツク公位を与えた。同年、ピンスク公ロスチスラフ(トゥーロフ・イジャスラフ家(ru))が、ヴォルィーニ公国領の都市チャルトルィスクを占拠するが、ダニールはこれを奪還し、ロスチスラフの子らを捕虜とした。1228年、ピンスク公ロスチスラフは、キエフ大公ウラジーミル(スモレンスク・ロスチスラフ家)、チェルニゴフ公ミハイル(チェルニゴフ・オレグ家)、ポロヴェツ族のコチャンの軍と共に、カメネツにダニールを包囲するが、ダニールはこれを退け、逆にベルズ公アレクサンドル、ポーランド軍と共にキエフへ攻め上がり、和平条約を締結させた。 1228年にガーリチ公位にあったムスチスラフ・ウダトヌィーが死亡すると、ダニールはガーリチ公国の獲得に動き始めた。ガーリチのボヤーレからも、ガーリチ公位への招聘の声が上がった(スジスラフ(ru)など反対派を除く)。1229年、ダニールはウラジーミル(ru)(先にルーツク公位の継承権を主張したヤロスラフの子)と共にガーリチを包囲、攻略すると、ガーリチ公位についた。それは即座に、ベーラを指揮官とするハンガリー軍侵攻の引き金となった。しかしダニール陣営にはポーランド軍が加勢し、ハンガリーの遠征は失敗した。1230年、ダニールの排斥を謀るガーリチのボヤーレがベルズ公アレクサンドルと内通するが露見し、アレクサンドルはダニールの弟ヴァシリコにベルズを奪われた。
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