ムスチスラフ2世のポロヴェッツ遠征
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「キプチャク」の記事における「ムスチスラフ2世のポロヴェッツ遠征」の解説
1170年、イジャスラフ2世の子ムスチスラフ2世は兄弟を召集し、ポロヴェッツ遠征について合議した。ムスチスラフ2世はチェルニゴフ公のオレーグの子らおよびフセヴォロドの子らをも召集し、3月2日にキエフを出発した。諸公がキエフを出発して9日たった頃、ポロヴェッツのもとにルーシ軍襲来の報が届いた。これを聞いたポロヴェッツ人たちは妻子を棄てて逃走したが、黒き林(チョールヌイ・レース)にてルーシ軍に追い着かれ、多くの者が殺され、捕虜にされた。
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