ミールへのアメリカ人訪問 (1995)
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「シャトル・ミール計画」の記事における「ミールへのアメリカ人訪問 (1995)」の解説
1995年2月3日にシャトル・ミール計画2度目の宇宙飛行となったミッションSTS-63でディスカバリーの打ち上げが行われた。このミッションにはアイリーン・コリンズが初の女性シャトルパイロットとして搭乗し、ロシアのウラジーミル・チトフも搭乗していた。8日間の飛行は最初のミールとシャトルのランデブー飛行となったため「ミール近郊ミッション」としても知られ、シャトルはミールと最小11mの距離に到達した。ランデブーの後、ステーション近郊を飛行して帰還した。このミッションはSTS-71で行われた最初のドッキングミッションのリハーサルであり、後のミッションで使われる様々な技術と機械部品の試験も行われた。 ディスカバリーの飛行から5週間後、3月14日にソユーズTM-21の打ち上げが行われ、ミールへEO-18の長期滞在クルーを運んだ。クルーにはロシアのウラジーミル・デジュロフ、ゲンナジー・ストレカロフに加えてアメリカ人初のソユーズの乗組員としてNASAの宇宙飛行士ノーマン・サガードが加わっていた。彼は115日間宇宙に滞在し、この期間中にはアメリカ人宇宙飛行士のリビング、ワークスペースとなるスペクトルモジュールがプロトンによって打ち上げられてミールに接続された。スペクトルは680kg以上のアメリカやその他の国の科学機材を積んでいた。EO-18のクルーはシャトルとミールの初ドッキングとなったSTS-71のアトランティスで地球に戻った。 6月27日にSTS-71でアトランティスが打ち上げられた。最大の目的はシャトルとミールをランデブーさせ、初ドッキングを行うことであった。6月29日、アトランティスはミールとのドッキングに成功し、1975年のアポロ・ソユーズテスト計画以来の米露の宇宙機のドッキングとなった。アトランティスはEO-19(英語版)のクルーであるロシアの宇宙飛行士アナトリー・ソロフィエフとニコライ・ブダーリンを乗せており、EO-18のクルーと交代にミールに滞在した。また、スペースラブで、軌道上での米露合同の生命科学調査を実行し、ステーションへの兵站的補給を行った。 11月12日にはSTS-74でアトランティスが打ち上げられ、2回目のドッキングが行われた。このミッションは1995年の最後の飛行で、ロシアの建造したミール・ドッキングモジュールを運び、太陽電池アレイとその他のハードウェアのアップグレードが行われた。ドッキングモジュールはミールのソーラーアレイとシャトルの衝突を防止するためであり、この問題はSTS-71の際にはステーションのクリスタルモジュールを違う場所に移動させることで克服されていたが、この手順を行わずに済むようシャトル側に余裕を持たせるために設計された。ドッキングモジュールはクリスタルに取り付けられ、以後のミッションでは移動の手順は行われていない。また、450kgの水がミールに運ばれ、実験試料となる血液、尿、唾液などが地球に持ち帰られた。
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