マヨリアヌス帝(457年 - 461年)
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「リキメル」の記事における「マヨリアヌス帝(457年 - 461年)」の解説
詳細は「マヨリアヌス」を参照 ゲルマン系蛮族出身のリキメルは皇帝になることはできなかったが、マギステル・ミリトゥム(軍務長官)としてガリア、ヒスパニアそして北アフリカを占拠するゲルマン人たちに影響力を及ぼすことができた。彼には西ローマ帝国を解体して東ローマ帝国の代理人として統治する手段と傀儡皇帝を擁立して西方の権力を掌握する手段とがあった。彼自身は前者を望んだが、ローマ人貴族階層がこれに同意しなかったため、リキメルは後者を選ばざるを得なかった。 西ローマ皇帝の空位を突いてアラマンニ族がイタリアに侵入した。ラエティアを出立した彼らはイタリアに浸透し、マッジョーレ湖にまで進出した。マヨリアヌスは軍を率いて北上し、アラマンニ族を撃退した。457年4月1日、マヨリアヌスはアド・コルメラス(ad Columellas)と呼ばれる場所で兵士たちによって皇帝に推戴された。マヨリアヌスが自らの傀儡になりうると考えたリキメルは東ローマ皇帝レオ1世を説得して彼の即位に同意するよう促しました。 リキメルは友人を操縦しうると考えていたが、マヨリアヌス帝は諸改革に取り組み、統治者としての有能さを示した。新帝はガリアの再征服とヒスパニア遠征で軍事的力量をも示した。マヨリアヌス帝はブルグント族と西ゴート族を屈服させてアウィトゥス帝以前の同盟部族(フォエデラティ)の立場に戻させることに成功した。そして、マヨリアヌス帝はヴァンダル王ガイセリックとの戦いを準備する。 ヒスパニアで遠征艦隊を建造していたマヨリアヌス帝は現在のバレンシア近くで(臣下の裏切りにより)ガイセリックの奇襲を受けて大敗を喫し、艦隊は焼き払われた。このため、マヨリアヌス帝はヴァンダル族によるアフリカとコルシカ島そしてバレアレス諸島の支配を認めざる得なくなり、アフリカ西部のヌミディアとマウレタニアの支配も失ってしまった。 マヨリアヌス帝は軍を解いてイタリアへ帰還しようとしたが、彼の不在中にリキメルは皇帝に反旗を翻すよう元老院を説得していた。皇帝が北イタリアのトルトーナにまで来ていると知ったリキメルは兵を送り、彼を捕えた。461年8月3日にリキメルはマヨリアヌス帝を廃位し、8月7日に拷問を加えたうえで斬首した。
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