マヨリアヌス帝とは? わかりやすく解説

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マヨリアヌス帝(457年 - 461年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/03 05:45 UTC 版)

リキメル」の記事における「マヨリアヌス帝(457年 - 461年)」の解説

詳細は「マヨリアヌス」を参照 ゲルマン系蛮族出身リキメル皇帝になることはできなかったが、マギステル・ミリトゥム軍務長官)としてガリアヒスパニアそして北アフリカ占拠するゲルマン人たちに影響力を及ぼすことができた。彼に西ローマ帝国解体して東ローマ帝国代理人として統治する手段傀儡皇帝擁立して西方権力を掌握する手段とがあった。彼自身前者望んだが、ローマ人貴族階層がこれに同意しなかったため、リキメル後者を選ばざるを得なかった。 西ローマ皇帝空位突いてアラマンニ族イタリア侵入したラエティア出立した彼らはイタリア浸透しマッジョーレ湖にまで進出したマヨリアヌスは軍を率いて北上しアラマンニ族撃退した457年4月1日マヨリアヌスはアド・コルメラス(ad Columellas)と呼ばれる場所で兵士たちによって皇帝に推戴された。マヨリアヌスが自らの傀儡になりうると考えたリキメル東ローマ皇帝レオ1世説得して彼の即位同意するよう促しました。 リキメル友人操縦しうると考えていたが、マヨリアヌス帝は諸改革取り組み統治者としての有能さ示した新帝ガリア再征服ヒスパニア遠征軍事的力量をも示した。マヨリアヌス帝はブルグント族西ゴート族屈服させてアウィトゥス以前同盟部族フォエデラティ)の立場戻させることに成功した。そして、マヨリアヌス帝はヴァンダル王ガイセリックとの戦い準備するヒスパニア遠征艦隊を建造していたマヨリアヌス帝は現在のバレンシア近くで(臣下の裏切りにより)ガイセリック奇襲受けて大敗喫し艦隊焼き払われた。このため、マヨリアヌス帝はヴァンダル族によるアフリカコルシカ島そしてバレアレス諸島支配認めざる得なくなりアフリカ西部ヌミディアマウレタニア支配失ってしまった。 マヨリアヌス帝は軍を解いてイタリアへ帰還しようとしたが、彼の不在中にリキメル皇帝反旗を翻すよう元老院説得していた。皇帝北イタリアトルトーナにまで来ていると知ったリキメルは兵を送り、彼を捕えた。461年8月3日リキメルはマヨリアヌス帝を廃位し、8月7日拷問加えたうえで斬首した。

※この「マヨリアヌス帝(457年 - 461年)」の解説は、「リキメル」の解説の一部です。
「マヨリアヌス帝(457年 - 461年)」を含む「リキメル」の記事については、「リキメル」の概要を参照ください。

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