マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)
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「初期の世界地図」の記事における「マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)」の解説
カラハン朝の学者(一説には王族)マフムード・カーシュガリーは11世紀、史上初のテュルク諸語・アラビア語辞書『テュルク語集成』(Dīwān Lüḡāt al-Türk)の中に世界地図を収録した。この図は東が上になっており、水域が青く塗られている。小さな丸印は都市である。最中央がカラハン朝の首都ベラサグン、北部の瓢箪型の水域がカスピ海、最東部の水域に囲まれている部分は「ジャーバルカー?( جابرقا Jābarqā?)」と書かれており、「日本国」の(やや不正確な)音写ではないかでと言われている。その他にイラク、アゼルバイジャン、イエメン、エジプト、中国、ヒンドゥスタン、カシミール、ゴグマゴグ(「ヤージュージュとマージュージュ」 右側の赤い半円)などが書かれている。図中の青線は河川、赤線は山脈を意味している。世界の周囲は海(いわゆるオケアノス海)に覆われている。この地図は現在イスタンブールのペラ美術館(英語版)にある。カーシュガリーの地図に先行するアラビア語地理書での世界地図としては、イブン・ハウカルやイスタフリーの地理書に描かれている世界地図が知られている。これらの地図はプトレマイオスの地理書や地図に、イラン、中央アジアなどの知見をもとに増補されたものだが、カーシュガリーの世界地図はベラサグンの周辺地域を中心に描かれており、同書が書写されたと思われるバグダードやイラク、中東やアラビア半島などの諸地域はイブン・ハウカルなどに比べるとかなり模式化されている。後述のイドリースィーの世界地図も、基本的にイブン・ハウカルやイスタフリーの地図や地理概念の延長線上にある。
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