マフィア界の風雲児
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 15:54 UTC 版)
「ジョー・マッセリア」の記事における「マフィア界の風雲児」の解説
いつマフィアになったか、どこの組織に入ったか不明で、出所してから禁酒法施行までの間にモレロ一家に入った、または1910年代後半に独自のギャング団を結成しモレロ一家を継いだとの説がある。モレロ一家をマッセリア一家の前身と見なし、ほぼ同一視する説と、活動テリトリー等の違いに着目して別々の組織だったとする説で見方が分かれる。 シチリア出身だが、パレルモ派やコルレオーネ派などのメインストリームから外れ、血縁上頼りになるマフィアもおらず、派閥的に孤立した。同郷の血族で固めるシチリア流組織組成ができず(又はしたくなかった)、無数の外様ギャングと結びつくことで組織を大きくした。アメリカに渡ったシチリアマフィアがイタリア本土出身ギャングと手を組むのは珍しくなかったが、あくまで外部協力者の扱いだった。マフィアは最初にシチリアの自分の故郷の者と徒党を組み、次にシチリア各地の人間と徒党を組み、その結果、組織がシチリア人で占められ、その中核は同郷者・血縁者だった。マッセリアはシチリア人かどうかに関係なく、有力なギャングなら組織に加えた。ナポリ系のカポネをマフィアに入れたことで批判を浴びたが、他のファミリーも結局マッセリアの動きに追随した。1920年代後半、非シチリア系の組織流入が「解禁」になるが、マッセリアがこの流れを作った。 マイアミへの賭博旅行の際はアイルランド系やユダヤ系の仲間を引き連れていた。シチリア保守派の手前、組織にこそ入れなかったが、部下たちが他国系ギャングと付き合うのを禁止しなかった。マッセリアにとって人と人を結びつけるのは家柄や地縁ではなく、金やビジネスだったが、世間では長らく「口髭ピート」(閉鎖的な旧世代ボス)のレッテルを貼られた。
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