マクトゥームチャレンジラウンド3とは? わかりやすく解説

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マクトゥームチャレンジラウンド3

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 14:00 UTC 版)

マクトゥームチャレンジ
Al Maktoum Challenge
主催者 ドバイレーシングクラブ
競馬場 メイダン競馬場
距離 ダート1900m(2024年[1]
格付け 国際G1
賞金 1着賞金2,208,000AED
出走条件 サラブレッド北半球産4歳以上、南半球産3歳以上
負担重量 北半球産馬57kg、南半球産3歳馬54.5kg、牝馬2kg減
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マクトゥームチャレンジAl Maktoum Challenge)とはドバイレーシングクラブメイダン競馬場ダート1900mで施行する競馬国際競走である。日本語ではAlを省略して表記されることが多い。

創設時から2023年まではマクトゥームチャレンジラウンド3Al Maktoum Challenge Round 3)というレース名称で開催されていた。

当競走を勝利した競走馬はドバイワールドカップへ招待されるため、前哨戦とトライアルレースの2つの役目を担っている。

概要

ドバイレーシングカーニバルに指定され、2023年までスーパーサタデーマクトゥームチャレンジの第3戦として施行されていた。

2024年からは施行時期が1月の最終金曜日に新設されたファッションフライデーに移動になり、格付けは同様で、距離と名称を現行のものに変更された。

2010年に日本からウオッカレッドディザイアの2頭が日本生産・調教馬として初めて出走。レッドディザイアが日本調教馬初優勝を遂げた。なお、レッドディザイアは鞍上のオリビエ・ペリエの体重調整の問題で、本来の負担重量55kgのところ、0.5kg超過の55.5kgで出走しており、ハンデを克服しての勝利であった。また、ウオッカはこのレースで鼻出血を発症したため、目標としていたドバイワールドカップの出走を断念し、このレース限りで現役を引退している。

歴史

  • 1994年 - 創設。創設時はナド・アルシバ競馬場ダート2400mで施行。
  • 1996年 - この年以降施行距離が2000mとなり、以降3月に施行。
  • 1997年 - この年以降リステッド競走(L)として施行
  • 2001年 - この年以降G2に格付け。ハイトーリが優勝し、UAE調教馬以外の外国馬が初勝利。
  • 2002年 - この年限り2月に施行。
  • 2008年 - ランフランコ・デットーリサイード・ビン・スルール厩舎が3連覇を達成。
  • 2010年
    • 開催場がメイダン競馬場に移行し、施行条件がオールウェザー2000mに変更。
    • レッドディザイアが日本生産調教馬として初勝利。
  • 2012年 - この年以降G1に格付け
  • 2015年 - 施行条件がダート2000mに変更。
  • 2024年 - この年以降施行距離が1900mとなり、レース名称も「マクトゥームチャレンジ」に変更される。

歴代優勝馬

※馬齢表記は北半球の基準で表記。

施行日 調教国・優勝馬 日本語読み 性齢 タイム 優勝騎手 管理調教師 馬主
第1回 1994年2月25日 Cezanne セザンヌ 牡5 2:36.00 G.ハインド S.ビン・スルール
第2回 1995年2月23日 Izentespeshal イゼンテスペシャル 牡7 2:34.00 R.ヒルズ E.チャーピー ハムダン・アル・マクトゥーム
第3回 1996年3月10日 Tamayaz タマヤズ 牡4 2:08.00 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第4回 1997年3月13日 Kammtarra カムタラ 牡4 2:03.00 L.デットーリ S.ビン・スルール マクトゥーム・アル・マクトゥーム
第5回 1998年3月5日 Sun Nabhaan ナビハーン 牡5 2:05.91 R.ヒルズ E.チャーピー ハムダン・アル・マクトゥーム
第6回 1999年3月4日 Spindrift スピンドリフト 牡4 2:00.53 G.ハインド S.ビン・スルール シャイフ・マクトゥーム
第7回 2000年3月2日 Dubai Millennium ドバイミレニアム 牡4 1:59.60 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第8回 2001年3月1日 Hightori ハイトーリ 牡4 2:01.59 O.ペリエ P.ドゥメルキャステル ゲイリー・タナカ
第9回 2002年2月28日 Street Cry ストリートクライ 牡4 2:01.25 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第10回 2003年3月8日 Grandera グランデラ 牡5 2:02.83 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第11回 2004年3月6日 Victory Moon ヴィクトリームーン 牡5 2:03.30 W.マーウィング M.デ・コック
第12回 2005年3月5日 Chiquitin チキティン 牡5 2:04.70 M.キネーン J.バートン
第13回 2006年3月2日 Electrocutionist エレクトロキューショニスト 牡5 2:01.06 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第14回 2007年3月1日 Eu Tambem エウタンベン 牡4 2:01.53 L.デットーリ S.ビン・スルール シェイク・ハムダン・ビン・モハメッド
第15回 2008年3月6日 Jalil ジャリル 牡4 2:00.35 L.デットーリ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第16回 2009年3月5日 Asiatic Boy アジアティックボーイ 牡5 2:03.03 J.ムルタ M.デコック シェイク・モハメッド・ビン・ハリファ・アル・マクトゥーム
第17回 2010年3月4日 Red Desire レッドディザイア 牝4 2:02.62 O.ペリエ 松永幹夫 (株)東京ホースレーシング
第18回 2011年3月3日 Twice Over トゥワイスオーヴァー 牡6 2:05.44 T.ケリー H.セシル
第19回 2012年3月10日 Capponi カッポニ 牡5 2:03.05 A.アジュテビ M.アル・ザローニ ハムダン・アル・マクトゥーム
第20回 2013年3月9日 Hunter's Light ハンターズライト 牡5 2:03.65 S.デ・ソウザ S.ビン・スルール ゴドルフィン
第21回 2014年3月8日 Prince Bishop プリンスビショップ 騸7 2:04.23 K.ファロン S.ビン・スルール
第22回[2] 2015年3月7日 African Story アフリカンストーリー 騸8 2:04.92 J. ドイル S. ビン・スルール ゴドルフィン
第23回[3] 2016年3月5日 Special Fighter スペシャルファイター 牡5 2:03.09 F. ハラ M. アル・ムハイリ Sh Mansoor bin Mohd Al Maktoum
第24回 2017年3月4日 Long River ロングリバー 牡7 2:04.20 M.バルザローナ S.ビン・ガデイヤー シェイク・ハムダン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム
第25回[4] 2018年3月10日 North America ノースアメリカ 騸6 2:01.71 R.マレン S.Seemar Ramzan Kadyrov
第26回[5] 2019年3月9日 Capezzano カペザーノ 騸5 2:05.02 M.バルザローナ S.ビン・ガデイヤー Sultan Ali
第27回[6] 2020年3月7日 Matterhorn マッターホルン 牡5 2:04.44 M.バルザローナ S.ビン・ガデイヤー シェイク・ハムダン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム
第28回[7] 2021年3月6日 Salute The Soldier サルートザソルジャー 騸6 2:03.09 A.デフリース F.Nass Victorious
第29回[8] 2022年3月5日 Hypothetical ハイポセティカル 牡5 2:04.79 M.バルザローナ S.ビン・ガデイヤー シェイク・ハムダン・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム
第30回[9] 2023年3月4日 Salute The Soldier サルートザソルジャー 騸8 2:04.52 A.デフリース F.Nass Victorious
第31回[10] 2024年1月26日 Kabirkhan カビールカーン[11] 牡4 1:57.72 P.ドッブス D.ワトソン Tlek Mukanbetkaliyev

日本調教馬の成績

関連項目

注釈

  1. ^ 2015年ドバイワールドカップカーニバルプログラム Archived 2015年4月21日, at the Wayback Machine. - ドバイ競馬クラブ、2014年11月7日閲覧
  2. ^ 2015年レース結果 - レーシングポスト 2015年3月8日閲覧
  3. ^ 2016年レース結果 - racingpost 2016年3月11日閲覧
  4. ^ 2018年レース結果 - racingpost 2018年3月11日閲覧
  5. ^ 2019年マクトゥームチャレンジラウンド3”. racingpost.com (2019年3月9日). 2019年3月10日閲覧。
  6. ^ 2020年マクトゥームチャレンジラウンド3”. racingpost.com (2020年3月7日). 2020年3月8日閲覧。
  7. ^ 2021年マクトゥームチャレンジラウンド3”. racingpost.com (2021年3月6日). 2021年3月7日閲覧。
  8. ^ 2022年マクトゥームチャレンジラウンド3”. racingpost.com (2022年3月5日). 2022年3月6日閲覧。
  9. ^ 2023年マクトゥームチャレンジラウンド3”. racingpost.com (2023年3月4日). 2023年3月5日閲覧。
  10. ^ 2024年マクトゥームチャレンジ”. racingpost.com (2024年1月26日). 2024年1月27日閲覧。
  11. ^ “カビールカーン(Kabirkhan)”. JRA-VAN Ver.World. https://world.jra-van.jp/db/horse/H1017162/ 2024年1月27日閲覧。 

マクトゥームチャレンジラウンド3

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:02 UTC 版)

日本調教馬の日本国外への遠征」の記事における「マクトゥームチャレンジラウンド3」の解説

1994年ナド・アルシバ競馬場ダート2400メートル競走として創設2001年G2昇格2015年からはG1として施行されている。1996年ダート2000メートル変更し2010年にはメイダン競馬場移行の上オールウェザー2000メートル競走となったが、2015年からダート2000メートル行われている。2010年G2時代)にレッドディザイア優勝している。 回施行日参戦馬名英語表記性齢騎手管理調教師着順第17回 2010年0304レッドディザイア Red Desire 牝4 O.ペリエ 松永幹夫 1着 ウオッカ Vodka 牝5 C.ルメール 角居勝彦 8着 第20回 2013年0309トレイルブレイザー Trailblazer 牡6 武豊 池江泰寿 10第24回 2017年0304ラニ Lani 牡4 R.ムーア 松永幹夫 6着

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