ポンセ・デ・レオンとフロリダ
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「若返りの泉」の記事における「ポンセ・デ・レオンとフロリダ」の解説
物語は、ポンセ・デ・レオンがプエルトリコを征服した際、現地の人々から泉の話を聞いたことへと続く。増えゆく物質的な裕福さに満足できず、レオンはその泉の場所を突き止めるべく探検隊を結成し、探検の過程でフロリダを発見した。彼はアメリカの土地を踏んだ初期のヨーロッパ人の内の一人ではあったが、結局若返りの泉を見つけることは無かった。 しかし、この話は不確かな点もある。ポンセ・デ・レオンは泉の話を聞いておりその存在を信じていただろうとされる一方で、彼が死去するまで諸作品における伝説と彼の名は結び付けられていない。レオンと伝説を結びつけたのは、ゴンサロ・フェルナンデス・デ・オビエド(英語版)の1535年の作品「Historia General y Natural de las Indias(インディアス全史)」である。オビエドはその著書の中で、ポンセ・デ・レオンは自身の精力減退を治癒するためにビミニの泉を探したのだと書いた。同様の記述がフランシスコ・ロペス・デ・ゴマラ(英語版)著による1551年版の「インディアス全史」にも書かれている。また、エルナンド・デ・エスカランテ・フォンタネダ(英語版)は、1575年の作品「Memoir(回想録)」の中で泉がフロリダにあるとし、そこでレオンがその水を探したと書いた。この記述は後にスペインの歴史家アントニオ・デ・エレラ・イ・トルデシージャスが記した、新世界におけるスペインの歴史にも影響を与える。フォンタネダは少年の頃に乗っていた船が座礁し、フロリダでインディアンの捕虜として17年間過ごした経験を持つ。彼の回想録では、彼が呼ぶところの失われた川「ヨルダン」を流れる若返りの水について触れ、レオンはこの水を探していたと言及した。しかし、フォンタネダ自身がこうして書いた内容には懐疑的であることを明らかにし、レオンがフロリダを訪れた時、実際にその伝説的な水を探していたかどうかについては疑わしいと述べた。 歴史家エレラは、作品「Historia general de los hechos de los Castellanos en las islas y tierra firme del Mar Oceano」を含む、フォンタネダの話をもとにして描いた作品で、フロリダの話について触れている。エレラはカシケ(caciques)と呼ばれる地元の長が、頻繁に泉を訪れていたと述べた。とある貧弱な老人の男性は、泉に入って完全な若さを取り戻し、「ありとあらゆることをまた出来るようになった…新しい妻をめとり、より多くの子供を授かることもできた」という。エレラはまた、スペイン人は伝説の泉を探すために、フロリダ沿岸に沿って全ての「川、小川、潟や池」を探したが、ついに泉を発見できなかったと加えている。セケネの話も同様に歪曲されたフォンタネダの話に基づいたものだったとされる。
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