ボリショイ・バレエ
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「ボリショイ劇場」の記事における「ボリショイ・バレエ」の解説
詳細は「ボリショイ・バレエ」を参照 ボリショイ・バレエは、モスクワのボリショイ劇場を本拠地とするバレエ団であり、サンクトペテルブルクのマリインスキー・バレエとともにロシアを代表するバレエ団である。チャイコフスキーのバレエ 『白鳥の湖』 は、1877年にボリショイ劇場で初公演が行われた。ソビエト連邦時代にはバレエ団が数百あったといわれるバレエ大国において、バレエ界を牽引する中心的な役割を担ってきた。 マリインスキー劇場は宮廷を起源とし、王族・皇族の庇護のもと貴族階級を対象にした劇場であったのに対し、ボリショイ劇場は、地元の名士(公爵)が開設し裕福な商人階級向けに発展を遂げてきた。1902年ボリショイ・バレエ団長に就任したアレクサンドル・ゴルスキーは、ボリショイ劇場でのバレエ演目を増やすとともに、演劇改革運動に触発され、バレエの世界に新風をもたらした。 ロシア革命後は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)からモスクワへの遷都と、ソ連政府によって最も重要な国立劇場として位置づけられたことに伴い、マリインスキー劇場からバレエ関係者(教育者、振付師、ダンサーなど)が次第にボリショイ劇場へと活躍の場を移していった。こうした人材の流入によって新たな作品と後進が育成された。第二次世界大戦後は、スターリンによってマリインスキー劇場から移籍したガリーナ・ウラノワの活躍や、スターリンの死後1950年代後半から始まった国外公演によってボリショイ・バレエの名声は国際的なものへと成長した。 ボリショイ・バレエのレパートリーは、チャイコフスキーの三大バレエ(『白鳥の湖』 『眠れる森の美女』 『くるみ割り人形』)、ハチャトゥリアンの 『スパルタクス』 をはじめ、古典、新作など多岐にわたる。ソ連崩壊後は、言論統制がなくなり西ヨーロッパ諸国の作品も上演するようになった。 なおボリショイ・バレエには支部としてブラジル南部の都市、ジョインヴィレにボリショイ劇場学校がある。 2013年1月17日(現地時間)に、同バレエ団の元ソリストで芸術監督のセルゲイ・フィーリンが、何者かによって強酸を顔にかけられ火傷を負う事件があった。バレエ団内部での抗争が背景にあると見られている。
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