ヘルワン HA 300
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ヘルワン HA 300
- 用途:戦闘機
- 設計者:ウィリー・メッサーシュミット
- 製造者:エジプト航空総局(EGAO)
- 運用者:エジプト空軍
- 初飛行:1964年3月7日
- 生産数:3機
- 運用状況:試作のみ
ヘルワン HA 300(アラビア語:حلوان ٣٠٠)は、1960年代にエジプト(当時はアラブ連合共和国)で開発されたジェット戦闘機である。
概容
HA 300は西ドイツの航空技術者ウィリー・メッサーシュミットとイスパノ航空機(Hispano Aviación)により設計された。元々この機はスペイン空軍の小型迎撃機として計画されたが、プロジェクトはエジプトに移管された。1969年にプロジェクトが中止されるまで3機の試作機が製造された。
最初の試作機は1991年に修復され、現在ミュンヘンのドイツ博物館に所蔵されている[1]。
設計と開発
発端
第2次世界大戦後、ウィリー・メッサーシュミット(西ドイツ国民として)は1955年まで航空機製造を含むドイツ軍のための防衛目的のあらゆる研究、開発をすることを禁止された。それゆえ彼はスペインに移住し航空機会社イスパノ アビアシオン(Hispano Aviación)を立ち上げ、1951年に超軽量戦闘機の開発を始めた[2]。開発の進捗は非常に遅く、メッサーシュミットは尾部の無いデルタ翼の合板製グライダーを作れただけであった。He111機に曳航されたグライダーのテスト飛行は不安定のために完了せず、機体は離陸すらしなかった。問題点が幾つも見つかったことと開発が長期化したことで1960年にスペインは開発プロジェクトを放棄した[3]。
その後エジプトがこの設計を購入し、メッサーシュミットに率いられた設計チームはエジプトのヘルワンに移りHA-300(Helwan Aircraft 300)として作業を続けた[1]。オーストリア人のジェットエンジンの専門家フェルディナント・ブランドナーもこの新しい戦闘機用のエンジン開発のために招聘された。エジプトは軽量超音速単座戦闘機を製造して自国の空軍に就役させることを目的としていた[4]。
HA-300
エジプト航空総局(Egyptian General Aero Organisation、EGAO)の監督の下、カイロ南東のヘルワンの第36工場のテスト施設と作業場でHA-300の開発が始まった。HA-300は当初アフターバーナー付のオルフェースBOR 12ターボジェットエンジン用に設計されていたが、後でアフターバーナー使用時4,800 kgpを発生するブランドナー E-300 エンジンを装備するように変更された。インドも自国のHF-24 マルート用の新しい動力源として換装するためにE-300ジェットエンジンに資金援助をし[1]、E-300エンジンは1963年7月に初運転した[3]。
推力2,200 kgpのオルフェースMk 703-S-10エンジンを装備した最初の試作機は1964年3月7日に初飛行し[5]、マッハ1.13を記録した[6]。エジプトは1964年にHA-300の飛行テストの準備に2人のエジプト人パイロットをインドに送り込み[1]、続いてオルフェースを装備した2番目の試作機が1965年7月22日に初飛行した。3番目にして最後の試作機はエジプト製のE-300エンジンを装備して、離陸から2.5分以内に高度12,000 m、速度マッハ2.0に達する予定だった。この試作機は飛行テストを行わず、地上滑走試験を終了しただけだった[2]。
開発には総計1億3,500万エジプト・ポンドが費やされた。
E-300エンジンはインド政府も興味を示し、十分な性能のエンジンが得られず低性能に悩んだHF-24 マルート戦闘機に使用するために引き渡された[3]。HF-24 マルート戦闘機は、同じくドイツ人設計者のクルト・タンクが設計した、インド国産戦闘機である。同じくドイツ人が設計したHA-300と比較されることが多い機体であるが、HF-24 マルートはエリアルールやエアインテークのショックコーンなど、当時の超音速戦闘機設計の最新の設計手法を導入していて機体性能は高い。エンジンの性能は低いながらも、HA-300と同等の最高速度性能を達成した。
中止
6日戦争が勃発した後、軍事費の多くを新たな航空機と防空兵器の購入に充てる必要とソビエト連邦から戦闘機を購入できることにより、1969年5月にエジプト政府はプロジェクトを中止した[4][2]。あわせてエンジンの開発も頓挫し、HF-24 マルートにE-300エンジンを搭載する計画も中止となった。
残存機

HA-300の最初の試作機は1991年にダイムラーベンツ・アエロスペース(DASA)社に買い取られマンヒンクでの修復のためにドイツに空輸された。MBBが5年半の歳月をかけ修復し、現在HA-300はミュンヘンのドイツ博物館に展示されている[1]。
要目
(HA-300)
- 乗員:1名
- 全長:12.40 m
- 全幅:5.84 m
- 全高:3.15 m
- 翼面積:16.70 m²
- 空虚重量:2,100 kg
- 運用重量:5,443 kg
- エンジン:
- 最大速度:
- 2,124 km/h (マッハ1.7) 低高度
- 1,490 km/h (マッハ1.2) 標準高度
- 巡航高度:12,000 m
- 作戦航続距離:1,400 km (870 miles, 755 nmi)
- 初期上昇率 : 203 m/s
- 武装:
- 機関砲: 2 * イスパノ 30 mm または 4 * ヌーデルマン=サラノフ(Nudelmann-Suranov) NS-23 23 mm
- ミサイル: 4 * 赤外線ホーミング 空対空ミサイル
関連項目
出典
- ^ a b c d e Group Captain Kapil Bhargava. “Messerschmitt's HA-300 and its Indian Connection”. MEMOIRS. Indian Air Force. 2014年2月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月8日閲覧。
- ^ a b c “Hispano Aviácion HA 300”. EADS N.V. (2008年7月20日). 2008年8月18日閲覧。
- ^ a b c Ace (2006年12月10日). “The Egyptian Helwan HA - 300”. Aviationfans. 2008年9月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月8日閲覧。
- ^ a b Mohamed Bahaa (2007年11月28日). “Helwan-300: The Egyptian Interceptor Project”. Aviation Articles. www.e-sac.org. 2008年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月8日閲覧。
- ^ Group Captain Kapil Bhargava. “Eyewitness to the Six-Day War”. THE SIXTIES. Indian Air Force. 2008年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月9日閲覧。
- ^ “Helwan HA-300”. FLUG REVUE (1998年7月14日). 2008年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月9日閲覧。
外部リンク
「ヘルワン HA 300」の例文・使い方・用例・文例
- HAP、遺伝性多発神経炎性失調は、別名をレフサム症候群という。
- 彼は1997年に「HANA-BI」,2003年に「座頭市」で,ベネチア国際映画祭の賞を獲得した。
- それらの会社はドコサヘキサエン酸(DHA)が豊富に含まれているかまぼこやちくわを作っているのだ。
- DHAは脳の働きを高めると言われている。
- もう1枚のシートには,「HANA-BI」や「ゴジラ」など1980年以降に公開された映画を題材とした切手がある。
- ビルの最終閉館前の数日間の夜間,ビルの窓に「THANKS」の文字が照らし出されていた。
- くまモンを使用している会社にはカゴメやUHA味(み)覚(かく)糖(とう)などの大企業も含まれる。
- 300エーカーの耕地
- その写真コンテストには300点もの応募があった
- 私は彼の受けた損害を300万ドルと見積もった
- 彼らは参加者を300人と計算した
- 塔は約300メートルの高さがある
- 彼らは300人収容の音楽会場を借りた
- 200か300
- 全長300マイルの川
- 300万ドル
- 300人以上の人がその会議に出席した
- 300人のうち,たった12人が試験に合格した
- 昨年は年間降雨量が300ミリメーターしかなかった
- その飛行機には約300人の乗客が乗っていた
固有名詞の分類
試作機 |
DC-1 ブレダ・ザパタ BZ.308 バーデ 152 ピアジオ P.7 ヘルワン HA 300 |
戦闘機 |
I.Ae. 30 ナンク ピョレミルスキ ブレイジング・エンジェル アブロ・カナダ CF-105 ヘルワン HA 300 |
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