プロヴィデンス号の航海とは? わかりやすく解説

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プロヴィデンス号の航海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/21 14:51 UTC 版)

ウィリアム・ロバート・ブロートン」の記事における「プロヴィデンス号の航海」の解説

1793年10月就任したプロヴィデンス号en:HMS Providence (1791))艦長として、バンクーバー遠征支援北大西洋調査命じられ1795年出帆した12月16日キリバスカロリン島再発見し翌年バンクーバー島再訪調査する遠征支援終え太平洋横断して黄海入りイギリス人として初め朝鮮半島沿岸航海する。さらに北上してヨーロッパ地図上で空白地帯だった、揚子江から樺太サハリン)、北海道沿岸千島列島測量調査行った1796年寛政8年8月内浦湾噴火湾)に面する洞爺湖町田で日本初上陸果たし9月には室蘭寄港して船体修理行っている。冬を越すために12月マカオ寄港する厳し北太平洋調査僚船必要性感じ、スクーナープリンス・ウイリアム・ヘンリー号を買って2隻でマカオ出航するが、直後1797年5月16日プロヴィデンス号宮古島池間島)沖の八重干瀬座礁沈没してしまう(帰国後出版し評判となった航海記には、この時宮古島住人手厚く助けられ感謝の念記されイギリス人対日観影響与えたとの見方がある)。 いったんマカオ戻った後、彼は残ったスクーナー探検航海再開する決断をする。那覇港寄った後、太平洋岸を北上房総沖江戸湾確認)し、仙台箱館訪問する松前藩には歓迎されず、そのまま日本海抜けている。なお、松前藩側の記録によれば当時松前藩側に英語を理解できる者がおらず、両者片言ロシア語駆使して辛うじてイギリス探検船であることが理解できた程度であったという。 1798年5月セイロン島で船を降り翌年本国帰国した

※この「プロヴィデンス号の航海」の解説は、「ウィリアム・ロバート・ブロートン」の解説の一部です。
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