プロヴェルブ誌創刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/04 07:21 UTC 版)
「ポール・エリュアール」の記事における「プロヴェルブ誌創刊」の解説
終戦直後、トリスタン・ツァラ、および1919年3月にダダイスムの文芸誌『リテラチュール (文学)』を創刊したばかりのルイ・アラゴン、アンドレ・ブルトン、フィリップ・スーポーに出会い、ダダの運動に参加した。『リテラチュール』誌に詩を寄稿する傍ら、自ら『プロヴェルブ (箴言)』誌を創刊。1年ほどの短命な雑誌であったが、アラゴン、イサドラ・ダンカン、ジャン・アルプ、バンジャマン・ペレらが参加し、第4号の表紙にピカビア作「若い娘」と題する穴が開けられるなど、ダダイストの表現の場となった。
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