プロスキーヤーとしてとは? わかりやすく解説

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プロスキーヤーとして

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 01:32 UTC 版)

三浦雄一郎」の記事における「プロスキーヤーとして」の解説

1960年代始め頃からスキー学校開設し1962年アメリカ合衆国スタートしたばかりの世界プロスキー選手権参加トニー・ザイラー冬季オリンピックの元メダリスト名を連ねる大会で世界ランク8位となるなど、プロスキーヤーとして活躍1964年7月イタリアで開催されキロメーターランセ日本人初め参加時速172.084キロ当時世界新記録樹立(なお、この前後に3度転倒し、「世界で最も速い速度転倒して無傷生還する」という珍記録樹立している)。なおこれに先立ち防衛庁(現・防衛省航空研究所風洞実験室を使用し空気抵抗少なスキーウェア開発試みている。 1966年4月富士山での直滑降成功させる。この時ブレーキとしてパラシュート使用した映像から、後にパラグライダー開発されたという。 1970年5月にはエベレストサウスコル8000m地点からの滑降ギネスブック掲載)を成功させ、その映像が『The Man Who Skied Down Everest』(「エベレストを滑った男」)というタイトルドキュメンタリー映画化されアカデミー賞記録映画部門で賞を獲得した最終的に1985年54歳南アメリカ大陸最高峰アコンカグアからの滑降成功させたことにより、世界七大陸最高峰全峰からの滑降成功させた(頂上からの滑降ではない)。 1971年スポーツ英雄大賞スペイン)、1975年米アカデミー賞長編記録映画部門)=「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」。

※この「プロスキーヤーとして」の解説は、「三浦雄一郎」の解説の一部です。
「プロスキーヤーとして」を含む「三浦雄一郎」の記事については、「三浦雄一郎」の概要を参照ください。

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