プランタンなんば、カテプリなんば時代とは? わかりやすく解説

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プランタンなんば、カテプリなんば時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:26 UTC 版)

エスカールなんば」の記事における「プランタンなんば、カテプリなんば時代」の解説

千日デパート1972年火災起こし閉店してから9年後の1981年ダイエーがオ・プランタン・ジャポンとともに出店表明したダイエー地下1階地下2階を、プランタン残りフロアを使う計画であった。ところが、小売市場中心とした地元業者ダイエー出店強く反対し、進出大幅な遅れの恐れもあったことからダイエー出店辞退店舗面積縮小した上でプランタン食品売場兼務する形で承認された。 1984年1月14日に「プランタンなんば」が日本におけるプランタン3号店として開業した投資額は約120億円。かつて千日デパート営業していた専門店入れることとなり、専門店街は「エスカールなんば」とした。 当初ダイエー所有者から賃貸していたが1993年ダイエー所有ビルとなる。 プランタンなんばは、地下1階 - 7階まで。店舗面積16,000m²で93テナント入居した。全フロアとも顧客対象20代前後絞り、ハイテク・ハイタッチ感覚全面出した異色百貨店で、CATV局入居し開業当初年間売上目標である160億円を目指した。 しかし、プランタンとともに他のテナント売上伸びず、1985年3月当店ダイエー直営店にすることが決まった独立店であるため、地元との話し合い重ねた上で了承貰い大阪商工会議所開かれた事前商業活動調整協議会でも認可された。 ダイエー直営合わせ同年9月9日顧客層見直しインショップ導入衣料品拡大主力PB導入食料品楽器売場縮小などの改装行った上で開店した改装投資額は10億円最盛期となった1990年2月期の売上高122億円だった。 2000年3月21日に、プランタンの名称の使用許諾契約満了するに伴いプランタンからカテプリ業態転換営業継続した。ところが、2000年2月期の売上高最盛期半分以下である60億円にまで落ち込んだことや2001年2月期の売上高営業赤字見込み出てしまったため、2000年12月31日に完全閉店した。

※この「プランタンなんば、カテプリなんば時代」の解説は、「エスカールなんば」の解説の一部です。
「プランタンなんば、カテプリなんば時代」を含む「エスカールなんば」の記事については、「エスカールなんば」の概要を参照ください。

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