プラグマティズムと道具主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:26 UTC 版)
「ジョン・デューイ」の記事における「プラグマティズムと道具主義」の解説
デューイは自身をプラグマティストとは考えずに、「道具主義」を称した。ジェイムズは英国哲学、とくに経験論と功利主義の系譜にあるのに対して、デューイはヘーゲルに影響を受け、またジェイムズほど多元主義でも相対主義でもなかった。 「価値」について、それを気まぐれな機能とか純粋に社会的に構築された機能とも考えずに、出来事に組み込まれた質と考えた。 絶対的に正確な「真理」や「知識」を求めるアプローチをドグマとして考え、「真理」とはむしろ「人々にとってより好ましく信じられるもの」として、その社会的機能や社会関係のなかにおける知識理論を構築した。そしてそれに相応しいアプローチとして、単線的なアプローチに対して、間違えることや紆余曲折を積極的に評価するより複合的なアプローチとしての「可謬主義」を唱えた。 社会的、文化的、技術的、哲学的な実験を、真理の仲介者といえると主張した。 宗教についてジェイムズは過剰な信仰を欠いた人々にとって人間生活は表面的で面白くないものだろうとしたうえで、どの宗派に属するかはともかくとしても、我々は有神論、無神論、一元論などのいずれかをわたる賭けを行っているとした。デューイはこれに対して、宗教的な制度や実践が人間生活において果たす役割を賞賛する代わりに、たとえば有神論における神のような、なんらかの静的な観念への信仰を拒絶する。デューイは科学的方法のみが人間の善をもたらすと考えていた。「神とは、我々を欲望や行為に駆り立てる観念的な目的の統一である」とした。 1970年代にはいって、ローティやリチャード・バーンスタイン、ドイツの社会学者ハンス・ヨアスらによってこれらデューイの考え方の潜在力が再発見され、プラグラマティズムの意味さえも変えるようになった。しかし上記したように、デューイは自身をプラグマティストとは考えず、道具主義、機能主義、自然主義などと文脈に応じて称した。またトランスアクション(相互作用を意味するインタラクションとは異なる含意を持つ)という概念は、晩期デューイの知識理論および経験理論で頻繁に使用されたため、この概念の方がよりよく思想の概要を示すともいえる。
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