ブィリーナの分布圏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/23 09:40 UTC 版)
ブィリーナの勇士たちは、ロシア民族の歴史と運命と関わる国の防人として、かつてはロシアの至るところで語られてきたと研究者たちは推測している。すでに述べたように、これらのブィリーナの伝達者あるいは作者と考えられているのはスコモローフと呼ばれる民衆的な芸人であった。16世紀のイヴァン4世(イワン雷帝)はブィリーナ語りを側近に置き、夜ごと勇士たちの物語を聞くのを楽しみにしていたという。 しかし、18世紀から19世紀に至り、かつてウラジーミル公が首都を置いたキエフを中心とするウクライナや中央ロシアではブィリーナの口承は途絶えた。ウクライナでの口承が消滅したのは、16世紀ごろに新たに発生した叙事的ジャンルである「ドゥーマ (叙事詩)(英語版)」によって駆逐されたためと一般的に考えられている。 現代まで生き残っていた口承の大部分は北部ロシアであり、とくにすぐれた語り手を輩出したのはオネガ湖周辺であった。オネガ湖に次いでは白海沿岸地方、ピネガ川、メゼニ川、ペチョラ川などの大河流域に多くのブィリーナが残っていた。北ロシア以外では、シベリア、ドン川下流域で伝承されていた。なぜこうした分布になったかの原因は明らかになっていないが、以下の節に挙げるような理由が考えられている。このほか、近年では「民族的自覚説」が主張されている。これは、他民族・他人種と接触することで、交流や抗争のなかでロシア民族の固有性を示すために自覚的にブィリーナが語られたというものである。
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