フレーベルの教育原理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 01:31 UTC 版)
デューイはフレーベルの教育原則を概説し、実験学校がフレーベルのアプローチと共通する箇所を指摘するを説明するだけでなく、それらが食い違うフレーベルのアプローチを批判する。 彼の最初の批評はフレーベルではなく、システムとしてフレーベルに従う人々の批判である。 作業やゲーム、その他のものがフレーベルと彼の初期の弟子たちのものを単に受け継いで行くものである限り、多くの点からいってそれらのものに対しては、否定的であると言っても差し支えない...フレーベルによって論じられた外見的な動作を崇拝するのは、まさにそのことで我々が、フレーベルの原理に忠実ではなくなっているということである。 デューイにとって、教師は熟練した専門家であり、指導を設計する際には常に子どもの詳細と環境に目を向ける必要がある。お決まりのやり方数式では不十分なのである。 彼の2番目の批評は、フレーベルの象徴性の使用である。フレーベルは科学的な心理学なしで活動していたため、そして幼稚園の文化を周囲の社会の厳格な文化から切り離すために必要な時代のドイツ文化の性質のために、指導原則としての象徴主義へのこの過度の依存が生じたとデューイは言う。デューイにとって、この象徴主義の強調は、フレーベルの方法の抽象化と速すぎる多様性に苦しんでいる子どもの本当の想像力を誤解しているという。 最後の批評は動機づけについてである。。デューイは、模倣は教育における強力なツールであるが、それが子どもの学習の唯一の動機になることはできないと主張する。子どもは、何かを学ぶためには、活動の理由と方法についての概念を持っていなければならない。彼は、子どものためのより生産的で教育学的に一貫した道のために、幼稚園と小学校の方法論の間のギャップを埋めることを嘆願して結論をとする。
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