フルシチョフの回想と検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 15:17 UTC 版)
「靴叩き事件」の記事における「フルシチョフの回想と検証」の解説
フルシチョフは自身の回顧録の中で、自分がスペインのフランコ体制に強い非難を加えていた時に靴叩きをしたと追想している。彼によれば、国連総会でスペイン代表がフルシチョフの非難に回答して席に戻ろうとするとき、社会主義国の代表たちから激しい抗議の声が上がった。「ロシア(帝国)の国家ドゥーマ(英語版)での議事報告書で読んだのを覚えていた私は、もう少し(国連総会での議論に)熱を加えてやることにした。靴を脱いで机を叩き、我々の抗議がさらに大きくなるようにしたのだ。」。なお回顧録の脚注によれば、これはフルシチョフの記憶違いである。1960年10月3日のタイムズ紙は、同1日の国連総会でフルシチョフがフランシスコ・フランコを糾弾する「怒りの長演説」を繰り出したと報じているが、「靴叩き」に関する言及はしていない。 フルシチョフの孫ニーナ・リヴォヴナ・フルシチョヴァ(英語版)によれば、フルシチョフの家族は長きにわたるきまりの悪い沈黙の末に「靴叩き事件」の真相を明らかにした。ニーナによれば、その日フルシチョフは新しい靴を履いていたのだが、きつかったので座っている間は脱いでいた。スムロンの批判を受けて怒りをあらわにしたフルシチョフは、まず拳で机を叩いたのだが、腕時計を落としてしまった。それを取ろうとして、脱いでいた靴を目にしたフルシチョフは、片方の靴を取って机に叩きつけたのだという。なおニーナは、この事件について様々な場面・時系列で様々なバージョンの噂が出回っていることにも触れている。 長年フルシチョフの通訳を務め、事件時にも隣に座っていたヴィクトル・スホドレフ(英語版)も、ニーナ・フルシチョヴァとよく似た証言を残している。彼によれば、フルシチョフが拳で机を叩いた衝撃で、腕時計が止まってしまった。そのせいでフルシチョフはさらに激高し、すぐに靴で机を叩き始めたのだという。 一方フルシチョフの息子セルゲイ・フルシチョフは、「靴叩き」を証明する写真も動画も見つけられなかったとしている。NBCやCBCも自社のアーカイブを調べたものの、靴叩き事件を記録したテープは見つからなかった。 セルゲイは、フルシチョフが意図的に靴を脱いだとは考えにくいとしている。というのも国連総会の代表卓の下の空間は非常に狭く、また肥満体のフルシチョフは自分の足元まで手が届かなかったからである。これについては2002年にある元国連職員が、フルシチョフは自席で自発的に靴を脱いだわけではなく、別の経緯で靴を手にしていたことを証言している。彼女によれば、フルシチョフは事件が起きる前に、あるジャーナリストに靴を踏まれ弾き飛ばされてしまった。そこでその職員は靴を取り戻し、ナプキンでくるんでフルシチョフのもとに返却した。しかしフルシチョフは靴を履き直せず、仕方なく机の脇の床に置いていたのだという。実際この職員はこの後、フルシチョフが靴を手に取って机を叩いているのを目撃したと証言している。この元国連職員の証言は、ニーナ・フルシチョヴァやヴィクトル・スホドレフの言説とも矛盾しない。
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