フランス外交史料館に保管されている資料とは? わかりやすく解説

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フランス外交史料館に保管されている資料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 07:12 UTC 版)

正定事件」の記事における「フランス外交史料館に保管されている資料」の解説

フランスナントにある外交史料館には、在北京日本大使館員の森島守人が在北京フランス大使館のフランシス・ラコステ宛に、日本政府が行った調査結果記した1938年2月13日付の公文書保管されている。この公文書には、日本軍ミッショナリー保護のためにとった具体措置詳述するほか、犯行日本軍ではなく支那敗残兵」によると記されている。その後続けた調査でも、これを「覆す証拠は見つからなかった。従って日本政府当該事件に関する責任負いかねる」と記されている。(支那事変関連スル在支第三国財産被害調査表の「我方現地の之に対す態度」にある「昭和13年2月13日佛大使館公文ヲ以テ回答」とは、上記公文書のこと) これに対してフランス側は、1938年4月16日付で「大使館覚書以って本件に関して今後何等問題提起せざる旨申し越」と回答している(1938年4月16日付)。 また、1937年10月23日付の在北京フランス大使館員が駐中国大使宛てた書簡から、1938年5月24日付の在ローマフランス閣外大臣書簡までの史料保管されており、事件から3日後に現地入りしたオランダ人宣教師使用人から聞いた話として「強奪者十数人で全員日本軍服着ていた。連隊帽子ではなくフェルト帽をかぶっていた。(中略)彼らは満州の"赤ひげ"つまり山賊だと話し、国に帰るのにお金欲しがった」と記されている。 その他、1937年12月1日付の文書には、スウェーデン人宣教師中国人カトリック教会関係者から聞いた話として「10月9日日本兵カトリック宣教施設来て若い女性要求した外国人宣教師一人が、"望むものは何でも持っていっていいが女性差し出すことは絶対にない"と答えると、日本兵立ち去った」と記されている。また、教会側からの手紙には「兵士お金要求したり、物を奪ったりした」と記されている。

※この「フランス外交史料館に保管されている資料」の解説は、「正定事件」の解説の一部です。
「フランス外交史料館に保管されている資料」を含む「正定事件」の記事については、「正定事件」の概要を参照ください。

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