フランスへの輸出増加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 23:32 UTC 版)
「スペインワイン」の記事における「フランスへの輸出増加」の解説
19世紀初頭にはスペインが新大陸に有していた植民地がほぼすべて独立し、その代わりにフランスへのテーブルワインの輸出が重要となった。1845年にイギリスでうどんこ病が確認されると、1850年代にはドーバー海峡を挟んだフランスに蔓延し、やがてヨーロッパのブドウ栽培地域の大部分に拡大した。1850年にはポルトガル経由でスペインにもうどんこ病が到来したが、乾燥した気候が幸いして影響は限定的だった。この病害の影響でスペインからフランスへのワイン輸出量が増加し、1850年から1857年の7年間で3.6倍に拡大した。当時のスペインでは鉄道網が未発達だったため、地中海岸から海上輸送によって輸出が行われており、恩恵を授かったのはカタルーニャ地方やバレンシア地方など一部の地域に限られた。 スペインにおける鉄道黎明期の1859年時点では、1人あたり年間ワイン消費量は35.2リットルだったとする推計がある。1866年にはアンドレ・ジュリアンが世界中の著名なワイン産地を集めた『有名葡萄園全地図』を著しており、スペインからは赤ワインの産地としてHigh Duero(ドゥエロ)が、白ワインの産地としてSherry(ヘレス)とPaxarete(ヘレス)が掲載されている。19世紀後半にはスペインで鉄道網が拡大し、内陸部のワインを各地方に輸送することが可能となったため、内陸部でのワイン生産が拡大した。また、19世紀後半にはカタルーニャ地方やバスク地方で産業革命が起こり、都市部でのワイン消費量が増加したとされている。1861年には首都マドリードとバルデペーニャスが鉄道で結ばれ、内陸部のラ・マンチャ産のワインがカンタブリア海沿岸部にまで販路を拡大した。フランスに亡命していたスペイン出身の貴族は、19世紀後半にボルドー地方のワイン醸造学をリオハ地方に伝えようとしたが、伝統的生産方法にこだわるリオハ地方の醸造者の反対にあった。
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