フランスへの特命使節
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 21:54 UTC 版)
「アメリカ独立戦争における外交」の記事における「フランスへの特命使節」の解説
1775年12月、フランスのヴェルジェンヌ伯爵シャルル・グラヴィエが、ジュリアン・アレクサンドル・アシャール・ド・ボンヴーロワールを密かにアメリカに派遣して大陸会議のことを探らせた。ボンヴーロワールは機密通信委員会のメンバーと会合した。 1776年初期、大陸会議の半公式任務を帯びてサイラス・ディーンがフランスに送られ、フランス政府がアメリカ植民地に財政的援助を与えてくれるよう画策した。ディーンはパリに到着すると直ぐにヴェルジェンヌやボーマルシェとの交渉を始め、ロドリゲス・ホルタレス会社を通じて多くの武器弾薬をアメリカに運ばせる約束をした。またディーンは大陸軍に従軍することになるという運命になった多くの軍人を徴兵した。その中にはラファイエット侯爵、ヨハン・ド・カルプ男爵、トマス・コンウェイ、カジミエシュ・プワスキおよびフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン男爵がいた。 ディーンは領収書や費用の管理が杜撰だったために1777年11月21日にアメリカに呼び戻される結果になった。 1775年にアーサー・リーがロンドンにおける大陸会議特派員に指名された。リーはスペインとプロイセンに反乱軍側への支援を取り付けるために特命使節として派遣された。ディーンやフランクリンと共にフランスへの共同使節にも指名された。 1776年12月、ベンジャミン・フランクリンがアメリカの使節としてフランスに派遣された。フランクリンはアメリカ合衆国を支持したジャック=ドナティエン・ル・レイ・ド・ショーモンから寄贈されたパリ郊外のパッシーの家に住んだ。フランクリンは1785年までフランスに留まった。
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